コースを走るS.O.S.'99 '99 Econo Power in GIFU参戦記

序盤はレースをリードするも、トラブルでリタイア

  ワールドエコノムーブへのチャレンジの後、
  しばらく息を潜めていた諏訪湖電走会が、
  新たなチャレンジのターゲットとして選んだのは
  「'99 Econo Power in GIFU」である。

   大潟村のコースに比べて、はるかに狭く短い
  中日本自動車学校の教習コースで、
  「スピリット・オブ・スワッコ99」は
  どのような走りを見せるのであろうか?


◆1999年11月×日

 電走会のメンバーが下諏訪町のあるファミリーレストランに集まり、今後のスケジュールについて話し合った。
来る11月14日に岐阜で開催される「'99 Econo Power in GIFU」に参加する為である。

 残念ながら、その前の週に豊橋で開催される電気自動車の大会には
準備が間に合わないことを理由に参加を取りやめた。

 ここ5年の間、5月の連休に大潟村で開催される「ワールドエコノムーブ(WEM)」に
参加したあとは、次の年の3月ごろまで冬眠(?)することが通例であった電走会ではあるが、
今年は似たカテゴリーのイベントが各地に増えたことで、再び活動するにいたった。

 レギュレーションを見ると、WEMに出場する車両で参加可能であることがわかり、
大作業を必要としないで当日を迎えられると読んでいた。 (このときは)

 そして、ドライバーとして松井君を起用することを決定した。
というのは、この将来有望な若手メンバーに電気自動車を運転する喜びを
味わってもらう為である。WEMの今年のドライバーの中田が175cmもあり、
おそらく最大級のエコランドライバーであることは、ほんの僅かな理由にすぎない。



◆11月6日


 大会を1週間前に控え、作業日として集合することにしたのだが、都合の悪いメンバーが続出。
結局、代表の大橋氏と宮本氏の二人でこそこそ作業を進めることになった。

 が、ここで問題発見!レギュレーションを読み返した二人が見つけたのは、
”操作部から別になったブレーキが2系統必要である”ことであった。
こりゃだめだ、と思ったもののブレーキをつけられるよう採寸し、
宮本氏が図面にすることでステーの作成に着手した。

 また、我々の車である「スピリット・オブ・スワッコ’99」はWEMの会場である、
大潟村ソーラーライン専用に作られているため、右回りしかできない体になっている。
 なのに、なのにである。岐阜の中日本自動車学校で開催される今回の大会は、
自動車教習コースを利用した左回りなのだ。
 ハンドルを右側に寄せて作ってあるために、ほんの僅かしか左へ曲がるために
切ることができない。迷った結果、根性で曲げることで対策とした。
松井君には大会までに根性を鍛えておくようにという指示が出たかどうかは定かでない。



◆11月13日(土) 大会前日

 前日までどたばたするのは、どこのグループも同じだとは思うが、
今回の我々は違った!(はずだった・・・)
 ステーはアルミ溶接をしていただくコジマ工業さんのスピーディな作業のおかげで、
3日で出来上がった。部品さえできれば、作業内容は少しである。
14日早朝に出発するため今日は18:00には解散する目標で取り掛かった。

 作業は滞りなく進み、車体のクリーンナップを済ませ、あとは松井君が慣れるように
テスト走行をするだけになった。このとき13:30。
 土曜日に仕事が残っていた大橋氏から電話があったのはこのときであった。
スチール棚を納入する人手が足らない為の応援要請の電話である。
そこへ向かおうとした、まさにその時に運悪くやってきた今井氏と相沢氏を加えて、
例外作業に向かう電走会メンバーであった。

・・・・・・・・棚運搬、組み立て作業中・・・・・・・・・・・・・・・・・

 16:00になり、いつになく集中して作業を終えたメンバーは、
すぐに戻り、試走の準備に取り掛かる。
この時期の諏訪地方は冬の気配も濃く、日が傾き始めるととたんに寒さが増してくる。

 試走場所に着き、メンバーが慣れた手つきで走行準備を整える。
対照的に不慣れな松井君をのせ、車が走り出す。
こんな時いつも思うのだ。「走ってるじゃん!!」
暫くの間、車を周回させ松井君が慣れたところで引き上げることにした。
試走では特に問題はない。後は大会のために車をトラックに積み、
持ち物の整理をするだけである。

 すっかり暗くなった18:30。棚の組み立てが上手くなったメンバーは、明日は4:30集合ということで解散した。



◆11月14日(日) 大会当日

チェーンの張り調整  早朝4:30にはメンバー全てが集合して一路岐阜の坂祝町目指して出発した。
まだ、外は真っ暗で寒く、”夜”の時間帯である。
 順調に往路を進んだが、思ったより時間がかかり、会場である日本ライン自動車学校に
着いた時には、すでに車検が開始されていた。
 会場入りした時に目にしたのは、予想以上に大きな教習コースであった。
外周路をコースとして使用するために、パドックはコース内側の路地を自由に使える。
早速、バックストレート内側にトラックを停め、受付と車の準備に別れて取り掛かった。

 本大会は、3つのカテゴリーに分かれている。ガソリンエンジンを搭載して、
その燃費を競う省エネカーと、ハイブリッドカー、
そして我々のエントリーしている電気自動車の競技である。

 以前の記事と重複するが、ここでその電気自動車の競技について簡単に説明する。

 使われる車は全長3m×幅1.2m×高さ1.6mまでの大きさであり、
原動機付自転車に使われる12Vバッテリーを2個搭載する。
この車体をモーターで駆動し、1時間でどれだけの距離を走れるか競う競技である。

 その競技の性格上、車は風の抵抗を受けないように細く低くなっているのが特徴で、
タイヤは前2輪、後ろ1輪という形が普通である。

 WEMと違うのは、

・バッテリーの数が4個から2個に減っていること
・それに伴い競技時間も2時間から1時間になっていること
・ブレーキ系統が2系統必要になっていること
・ドライバーの体重についての規格がない
 (WEMでは70Kgに足りない分は重りを乗せてイコールコンディションにする)

などが挙げられる。

 コースに関しては、WEMは3Km近いストレート2本をヘアピンで結んだレイアウトであるのに対し、
角を丸くした長方形コースである。

 さて、受付を済ませたが、車検には長蛇の列ができており、
ガソリンの省エネカー競技開始ぎりぎりまでかかりそうである。
暇に任せて辺りを見回すと、制服を着た学生がほとんどであることに気づく。
高山工業高校ミカ・スペシャル その中に以前、我々の車製作現場に生徒を連れて見学にいらした、
岐阜の高山工業高校の山下先生の姿を見つけた。
岩田氏と一緒にこちらのパドックに向かっている。
が、挨拶もそこそこに、
「パンクしちゃったんで、チューブ分けてください。」
と切り出された。快く渡したのだが、かなり慌てている様子。
聞けば4台体制でやってきているとのこと、そのうちの1台がパンクしたのだそうだ。
我々は、チューブを分けたことを後で少し後悔することになる。

 山下先生率いる高山工業高校はWEMにも参戦されていた車の他にも
3台を持ち込んでいた。
その中のピンク色の鮮やかな1台に目が止まった。
それもそのはず、我々の車を参考に作ったそうで、非常によく似ている。

 我々は、段プラと呼ばれる、プラスチックで作ったダンボールのような素材
(ホームセンターなどで市販されている)をボディ外板に使用している。
それを利用しているのだ。しかも、仕上げはより丁寧である・・・。

車検  会場を一回りして、今回のセッティングについて皆で相談した。
おそらく、WEMよりはコーナー数が多く、パワーをロスするであろうから
ローギアードにして電流が多く流れないようにしようという
今井さんの言葉に賛同し、すぐにギア変更作業にかかった。
元気に顔を見せている太陽は、朝から汗ばむほどの暑さを
我々にくれたために、全ての準備作業も滞りなく進んだ。

 準備が一段落すると、大橋氏、松井君とともに外周コースを一周する。
教習所のコースとしては大きいほうで、外周も600m弱ほどもある。
4本のストレートをコーナーで結んだほぼ長方形に近いコースである。
結構 路面は荒れており、アスファルトの継ぎ目や、マンホール大の穴もあり、
車輪を落とせば致命傷になりかねない。
走るラインを確認しつつ、松井君の緊張は高まっていくのであった。

 その頃には、パドックとなったコース内周路のあちこちでエンジンをふかす音が重なってくる。
今回はガソリンのエコランも同時開催であるため、我々のような電気自動車の大会だけに
参加していた者にとっては、初めての「騒音」とともにいた。
エコランとはいえサーキットのパドックさながらの状況ではあるのだが、
エンジンが50ccバイクの”カブ”であるため、その「排気音」は
決して心地よいものではないのだ。くぐもったような、ハッキリ言って耳障り・・・。
エコランは環境に繋がるものであるのだから、是非「音」についても、
「××dB以下」のような規制を加えてはいかがなものか。

グリッドイン  レース開始まで1時間半以上も時間があったため、
メンバーの幾人かは弁当を食べ始めたり、
昼寝をはじめたりしていた。私もうとうととし始めた頃、
オフィシャルから「電気自動車はコースインするように」との指示があった。
慌ててコースまで車を運ぶことになった。

 グリッドはガソリンとモーターのハイブリッドカーが前に並び、
その後ろに電気自動車が並ぶようになっていた。
我々は、レース参加申し込みが遅れたため、最後列である。
コース内側にグリッドが作られており、外側には十分な余裕がある。
幸い我々は外側のグリッドであったので、
遅い車はスタートと同時に抜けるだろうと、一同にんまり・・・。

 学生の車がコースインに手間取っている間に、我々は順調にドライバーを車に乗せ、
サイドミラーの最終チェックを済ました。
スタート前のアナウンスに伴い、松井君にそれぞれが声をかけコース内側に入った。
それぞれのチームが用意を済ませあわただしく車から離れてスタートのコールを待った。
速度は30Km/hほど、車体は3m以下、高さは50cmに満たない車が並ぶメインストレートであっても、
この雰囲気はレースそのものである。

 「スタート!」のアナウンスとともにレースが始まった。
 「あ・あれっ?」我々の車が動かない!?
松井君いわく、スタートのコールが聞こえなかったために、周りの車が動くのを見て発車したのだった。
周りから見ると数秒とは思えない長い沈黙の後、ボヨヨーーンとPWMの音も高らかに加速していった。
動き出すと、他車とは明らかに違う速度で1コーナーを目指していった。
どこかの何人かの声が聞こえる。
 「あの、黄色い車、速い!!」
 そして、一コーナーをトップで抜けていった。メンバー全員躍り上がって喜んだ。
別に速さを競っているわけではないのだが、注目を浴びればそれでうれしい我々だった。
相沢氏は「もう、これで満足した。」といって、おもむろにタバコに火をつけていた。
後はトップ快走を見守るだけだと、メンバーはコースに散っていった。

 私は、バックストレート後のコーナー手前(3コーナー)に陣取り、遅れた昼のお弁当を食べながら見ていた。
1周600mほどのコースで、車による速度差が大きいため2周目に入ると、既に周回遅れの車に出会うことになる。
既に目の前で何台か抜いていく姿を見た。3周目を終えると、もう速い車、遅い車が入り乱れた状態になっていた。
我々の車は巡航速度を守り、いいペースでトップを快走していたが、
それを上回る速度の車が一台接近してくる。それは中日本自動車短期大学のレッド・アローであった。

 その速度差は明らかで、乗っている松井君にもわかったのであろう、
数週の間後ろに従えて走っていたものの、先頭を譲り渡すことになった。

 ハイブリッドカーが含まれているものの、競技中の音は静かで、モーターを駆動する音、
チェーンがなる音がコース脇の山に埋もれていった。
車は、FRPで整形した後に塗装をしてあるもの、三輪車のようなフレームにモータを取り付けただけのもの等、様々である。
どの車に乗るドライバーも、辛い体勢で操縦することを強要され、真剣なまなざしで進行方向を見つめている。

トラブル発生  それぞれのチームが必死にレースをしている姿がそこにあった。
しかし、そこは決して広くはないコース、いつしか、車が道幅いっぱいに
入り乱れる状況になってしまった。
 速い車は文字通り、縫って走るような走行を課せられ、
松井君は神経を尖らせていることであろうと思って、
遅い弁当をほおばりながら見ていた。

 レース開始から25分ほどが過ぎ、我々は2番手ながら先の車に
4分の3周ほど差をつけられ始めたとき悲劇は起こった。

 第2コーナーを過ぎ、裏のストレートに入って走行していたところ、
前に数台の遅い集団がいた。松井君がそこに近づいた時に、
その中の1台が抜きにかかって進路を塞ぐ形になった。
力いっぱいブレーキを握った松井君は、接触だけは避けることができた。
しかし、ボディを擦る耳障りな音をさせて私の目の前にやってきた。
その音のすごさに、松井君はコース中央内側寄りに車を停めた。

パンク  私は、車をとりあえず内側に寄せて他車の邪魔にならないよう指示し、
外側から車の様子をうかがった。
最初はボディが外れて擦っているのだと思っていた。
ところが、リアの車高が落ちて、シャシーそのものが地面についてしまっていたのだ。
 パンクである。我々にとって初めてのパンクであった。
ルール上、修理して再スタートすることは可能であったが、
リタイアすることにした。残り30分を切った状態では、
タイヤ交換の後に送り出すことは困難だと判断したのだ。

 他のメンバーも異常を察して、集まってきた。
大橋氏が松井君に降りるようにと声をかけ、我々のレースは終わった。
タイヤを見ると外側のゴムが裂けて、親指大の穴が空いている。
ブレーキ2系統が必要であるというレギュレーションが災いし、
一発のフルブレーキングでタイヤがロックし、路面との摩擦で破れてしまったのだ。

落胆するドライバー松井 車を降りた後タイヤを覗き込んだ松井君の表情をカメラに収めることを
岩田氏は忘れなかった。

 レースの方は、段違いの速度で走行を続けていた中日本自動車短期大学が、
40分を過ぎた頃から急にペースを落とした。
代わって「でんきぷりん号」、愛知県立佐織工業高校の「アローIII」、
高山工業高校の「TK-R evIII Mika Special号」が、終始ペースを維持して台頭してきた。

 結局その3台が抜け出ており、表彰台を確保した。
また、序盤にリタイアした我らが「スピリット・オブ・スワッコ’99」は19位であった。

 帰りの道のりを考えるとあまり遅くなれない我々は、早々会場を後にして諏訪を目指した。


◆レースを終えて

 今回のレースで感じたのは、コース幅の狭さによる危険の大きさである。
手作りの電気自動車とはいえ、既に40Km/h以上の速度を出すことが可能な車もできている。
レースとして成り立つためには、安全について厳しいルールが必要になってきているのではなかろうか。
これは、主催者側の安全に対する規則の整備は勿論、オフィシャルとなる人々の教育、
責任の自覚が求められるとともに、我々、参加する側も走行マナーや技術といった人に関する部分と、
安全に走行できる車の設計にも関わる。

 電気自動車の発展のために、個人で参加できるこのような大会がいつまでも存続できるように、
諏訪湖電走会として何か示すことができればと思っている。


ご協力・ご声援ありがとうございました。

(本文:中田聡 / 写真:岩田裕二)
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