1997ワールドエコノムーブ参戦記
総合36位、グッドデザイン賞を受賞!!
今年で3年目のチャレンジとなるワールドエコノムーブ。
諏訪湖電走会は、ニューマシン「スピリット・オブ・スワッコ '97」をデビューさせた。

ニューマシン製作

フレーム  95・96年型のマシンは、FRPモノコックのコックピットに
前後サブフレームがついた、いわばレーシングカー志向の構造のため、
重量的に不利であった。
また、FRPのフルカウルボディも非常に大柄で空力特性が良くない。
そこで今年は、軽量化と前面投影面積の縮小をメインテーマに
ニューマシンの製作に着手した。
マシン製作のスタートが遅れたため、マシンが動いたのが大会の1週間前、
ボディが出来上がったのが3日前と、まさに滑り込みであった。

 当初は、市販の40WのDCブラシレスモータ(右下写真)を使用するつもりで
あったが、実際に搭載して電源を投入してみると、起動トルク不足からか、
ゼロ発進が出来ない有り様・・・。
それならばとモータを2個搭載して「ツインモータ」仕様にしてみたが、
平地ではなんとか発進できるものの、ちょっとした登り坂ではやはり発進ができないのであった。

 減速比をさらに高くすることも考えたが、モータの最高回転数とタイヤ外径から
最高速度が決まってしまうため、これ以上減速比を上げるのは得策ではない。

モータ  有力チームのモータも40W程度で、基本性能も我々のモータとさほど差異が
ないが、なぜかうまくいかない。
我々のモータは、ドライバに安全装置が入っているらしく、一定以上の負荷が
5秒以上モータにかかると、電流をカットしてしまうのである。
どうやらこのあたりをいじって、モータが多少無理できるようにしないと
いけないようだが、それだけの知識を持つ人間がいないことと、
時間が無いことから、やむなくこのモータをあきらめて、昨年までのモータを
使用することになった。


 昨年まで使用したモータは600W弱の出力を持っており、エコランカーには
かなりオーバースペックである。
諸般の事情からモータの詳細仕様は公開できないが、電気スクーター用の
モータであるため、人間を乗せて時速60キロ巡航が可能な高効率・高性能モータである。
95年の第1回ワールドエコノムーブのフリー走行時には、直線で実に時速106キロを記録している。

ボディ原型  出力が大きすぎることのほかに、いくつかの難点がある。
それは、重量である。
モータとコントローラで8kg近い重量があるのだが、マシン全体で
30数kgであるから、いかにモータが重いかがわかるというものだ。
そうはいっても、これに変わるモータを用意できなかった今、
このモータに賭けるしかない。

このモータで、95年に35kmを走っており、今年はマシンがかなり
軽くなったことを加味して、目標を45kmに設定した。


テスト走行

テスト  スピードスケートの世界大会も開催される「やまびこスケートの森」
屋外スケートリンクの平坦な外周路で、5月1日に走行テストを行なった。
今年のドライバーは、マシン設計者でもある中田氏だ。
(「責任を取って」という意味もあります ^_^;;;)
完成したばかりのボディには、ステッカー類が全く貼られておらず、
真黒なボディが不気味さを漂わせている。


 各部を点検した後、ヒューズを入れて準備が完了した。
GOサインを聞き、中田氏がゆっくりとボリューム(スロットル)をひねっていく。
一瞬チェーンが張る音がして、モータの唸りとともに、マシンが走りはじめた。
マシンはスムーズに加速して直線に入っていく。

コースを1周して戻ってくるなり、ドライバーの中田氏から「いい感じです!!」と声が出た。
時折、チェーンが外れ止めに当たる金属音がしているのが気になるが、
それ以外は特に問題はなさそうである。

 ギアセッティングのために走行データを取らなくてはならないので、連続で走らせることにした。
1周500mの外周路は、マンホールや排水溝がところどころにあり、アスファルトの継目も目につく。
段差を越えるたびに、軽量化のためにやや貧弱に作ったシャシーが、
幸か不幸かサスペンションの役目をして路面に追従しているのが見える。

「マンホールが襲いかかってくる。まさにピュアスポーツだ。」(中田氏談)

テスト2 コースを十数周してマシンが戻ってきた。速度・電流値・走行距離・
平均速度などのデータをドライバーから聞き出して書き留めていく。
真黒な素材のボディによる暑さが心配だったのだが、中田氏によると、
タイヤの隙間から適度な風が入ってきて快適のようだ。
問題はギア比だ。平坦なスケートリンクと、川沿いを登り下りする
大潟村ソーラーラインとでは、あまりに走行条件が違いすぎるので、
ここでギア比を決定するには材料不足である。
最終的には、現地での練習走行で適切なギア比を見つけるしかないと
いうことだ。

その後、ギア比を若干変えながら、計2時間のテスト走行を行なったのであった。


秋田へ出発

 5月2日の夕方に、秋田に向けて出発した。
今年はメンバーのスケジュールの関係もあって、少数精鋭の5名での参戦である。
車2台(内1台はトランスポーター)に分乗し、片道12時間の長旅だ。

 3日の早朝に現地のレース会場に到着した。
前日からのキャンプ組も含めて、会場にはすでに多くの参加者が集まっている。
ZERO TO DARWIN PROJECTやスバル・スーパーエナジーなどの有名どころの姿も見える。
今日は午前中は練習走行、午後からは公式練習(兼公式予選)というスケジュールだ。


フリー走行

ピット  長旅の疲れと眠気を払いながら、マシンを組み立てる。
練習走行で、最終的なギア比を決定しなくてはならないのだ。
他のチームもぼちぼち走り始めているようだ。

 中田氏がマシンにおさまり、ヒューズを入れてからボディを被せる。
特に問題もなくマシンは走り出した。
用意してきた2台の自転車で伴走する。
全長6kmの川沿いのコースは、往路が下り、復路が登りとなっている。
復路は、目に見えてきつい上りでもないのだが、やや川下に向かって
吹く風の抵抗もあってかなりきつく感じる。
自転車で走ってみると登りのきつさは予想以上で、けして速くはない
我々のマシンについていくのがやっとである。

 中田氏が読み上げる速度と電流値を伴走者がチェックしていく。
ちなみに、バッテリーに関しては、2時間で放電させると1.5A程度流れるというデータがあり、
我々は直列48Vなのでコース全体を平均して1.5Aで走れば2時間を走りきる計算になるわけだ。
ギア比をコースのどこに合わせるかによって、モータ回転数が変わり、
当然エネルギー効率も変わってくる。
また、速度が上がれば空気抵抗も無視できなくなってくるので最高速を
どのあたりに設定するかも大きな問題だ。

 3周目の下りでトラブルが発生した。リアタイヤあたりから「ガリッ」という音がした後、
急に電流値が上昇したのだ。 中田氏が「チェーンがどこかに当たっているような音がする」というので、
コース脇にマシンを止めてボディを外した。
チェーンが外れたかと思ったのだが、そうではない。チェーンに触れて張力を調べると、
チェーンがだいぶたるんでいるようだ。そしてそのたるみの分だけフレームに当たっているらしい。
どうやら段差を越えたときにリアタイヤが前方にずれたようだ。
以前から気にはなっていたのだが、シャシー剛性が低いために、モータとリアタイヤ車軸の間隔が
走行中に変化しているのが原因かもしれない。
とりあえず、一旦リアタイヤを外してチェーンを張り直した。
体重がかかったときのシャシー変形分も考えて、若干強めに張る。
再びボディを被せて走行を再開して様子をみたが、それ以降はそのトラブルは発生しなかった。

 練習走行の結果から、ギア比は現状のままでいくことにした。
車体各部については大きな問題がなさそうなので、特に改良などは必要ないと思われた。


公式練習(兼公式予選)

車検  10時からの車検と、12時30分からのブリーフィング(ドライバーズミーティング)の後、13時から公式練習が始まった。
公式練習は、本戦と同じ条件で2時間を走るもので、この結果によって翌日のスタート順が決まるが、翌日が雨で中止になった場合には、この順位がそのまま公式結果になるので、どのチームも真剣である。

 我々の「スピリット・オブ・スワッコ '97」は27番グリッドからの
スタートだ。フリー走行から特にマシンをいじっていないので、
不安要素は少ない。


予選1  各車スタート。ここから先はドライバーにすべてを任せるしかない。
トップグループは去年同様にハイペースである。実に10分そこそこの
ラップタイムで走行を重ねていく。
我々のマシンは1周目20分でコントロールラインに戻ってきた。
下りのコース脇で大きく手を振ると、中田氏は小さく手を振って答えた。
どうやら順調に走行しているようだ。
2周目が19分、3周目が18分だ。このペースでいくと2時間で6周走れるはずだが、バッテリーはもつのだろうか?

 1時間が過ぎ、コース上に止まる車が増えてきた。
トップチームはあいかわらずのハイペースで周回を続けている。
我々のマシンも、大してペースが落ちることなく周回を続けている。
過去のデータでは、1時間15分あたりからガクッとペースが落ちたのだが、今回は様子が違うようだ。

 6周目に入り、直線をいつものように下っていったマシンがなかなか復路に戻ってこない。
「止まったのか!?」とコースを走って下っていくと、ゆっくりしたペースで登ってくる
マシンが見えた。電圧が低下してきたらしい。

「落ちた!!」と中田氏。
「落ちた」とは、電圧が低下して安全装置が働いて電流がカットされたことを意味している。
そのため中田氏が手元のリセットボタンを操作して安全装置を解除したようである。

予選2 そのまま復路を登っていったが、今度は往路の下りにもどってこない。「また止まったのか?」とコース脇を登っていくと、場内アナウンスの声が耳に飛び込んできた。

「ゼッケン27番がコントロールライン手前で
                止まっています。」


我々のマシンである。ちょうど6周を終了する直前のようだ。
急いでマシンに駆け寄る。残り時間ももうわずかだ。
「もうダメか?」とたずねると、「まだ行けそうだけど、バッテリーに負担をかけすぎると明日の決勝のための充電に響くから、ここで止めたほうがいいと思う。」と、中田氏。
結局そのまま時間終了を待ち、ほぼ6周の36.02988kmで予選を終了した。
「一番回収しやすい位置で止まりましたね。」とオフィシャルに声をかけられる。
順位は74台中34位と、ちょうど真ん中あたりだ。
予選トップの早稲田大学が67.34841kmだから、かなりの差がある。

なにはともあれ、今年のスピリット・オブ・スワッコ '97は2時間を走りきることができたのである。


決勝レース

 翌5月4日は、朝から雨が降っていた。
電気自動車という性格上、大雨になればレース中止もありうる。

 大潟村ソーラーラインに着いてみると、雨はそれほど激しくはないようだ。
しかし、万が一のことを考えて、雨対策が必要になる。
我々のスピリット・オブ・スワッコ '97は、タイヤを車内に収納するフルカウルタイプなので、
タイヤが巻き上げた水滴が車内にそのまま入ってくることになるのだ。
実のところ、雨対策をほとんど考えていなかったので、スタートまでてんやわんやとなってしまった。
まず、前2輪と後1輪に雨よけのフェンダーをつける。手持ちの材料で急ごしらえだ。
マシン製作をする中で、こうした突貫作業にだいぶ慣れてしまったのがちょっと悲しい。

 モータコントローラやドライバ回路の防水のため、厳重にビニールテープを巻く。
なんとかスタートまでには間に合った。
9時のスタートに合わせて、スターティンググリッドに車を並べる。
が、スタート直前、あろうことか雨足が急に激しくなった。
「フロントスクリーンがすごく見づらい!!」ドライバーの中田氏がコックピットから訴えた。
タオルでスクリーンを拭ったが、かえって視界は悪化してしまった。
鈴鹿のマイレッジマラソン(ガソリン1リットルでの走行距離を競うレース)に
参加しているメンバー(今回は都合で不参加)が、
「雨が激しいときには思い切ってスクリーンを切ったほうがいい」と言っていたのを思い出す。
「スタート1分前」のアナウンスが聞こえた。

「中田、ドライバーであるお前が決めろ!!」
「うーん・・・・・切ってください!!」

 その時点でスタート30秒前!!
「チーム員はコース外に出てください」のアナウンスを耳に入れながら、
大急ぎでフロントスクリーンの切断を開始した。
空気抵抗が増えるのは間違いないが、ドライバーの安全確保が最優先だから仕方ない。

フロントスクリーンの下半分を切除し、あわててコース外に出た。
しばらくして、9時ちょうどになり、決勝レースがスタートした。
これ以降は、ドライバーにすべてを託すしかない。

本線1  グリッドの先頭にいるチームは続々と走り出していくが、中段以降はかなりタイムラグがある。ゼロ発進を犠牲にして直線にギア比を合わせているチームが多いからだ。
やや前が空いたのをみて、中田氏がボリューム(スロットル)をひねる。スタート後の下りに助けられて、往路の直線をスムーズに加速して消えていく。

 サインボードを出すために、ストレートの始まりあたりまで移動する。
1周目、トップチームは例のごとくハイペースでとばしていく。
どうやら ZERO TO DARWIN PROJECTの「ながもちでんち君」と「スーパーでんち君」のランデブーになっている。やや離れて昨年優勝の早稲田大学がその後を追う。


 トップが戻ってきてから10分後、我々のマシンがコントロールラインに戻ってきた。
1周目は昨日の予選とほぼ同じペースだ。
2周目のストレートの入り口で大きく手を振ると、中田氏が小さく手を振って応えた。
とりあえず、問題はないようだ。

本戦2 昨日の予選の結果から、我々は若干作戦を変更している。
具体的には、全体のペースをもっと上げていく作戦だ。
2周目のラップタイムで様子がわかるはずである。
2周目のストレート入り口でラップタイムを取る。17分だ。
予選の時の2周目が20分だったから、ペースアップしていることがわかる。
フロントスクリーンが半分切除されていて空力的に不利なことを計算に入れると、かなりのペースアップだ。
雨はすでに上がってしまっている。結局は選択を誤ったことになったわけだが、これもレースというものだ。

 3周目のラップは16分。さらにペースを上げているようだ。
電流計を読みながらマネージメントしているので、中田氏が大丈夫だと判断しているのだろう。

 トップグループの争いは、「スーパーでんち君」が「ながもちでんち君」を抜いてトップに出ている。
タレントの高橋里華のドライブする「ながもちでんち君」のペースがやや落ちている。
やや遅れて早稲田大学の「エレキング早稲田II」が続く。さらにスバルの「スーパー エナジー 100」と「スーパー エナジー IV」の2台が続いている。

本戦3 我々のスピリット・オブ・スワッコ '97は、4周目、5周目を16〜17分の安定したペースで周回を重ねている。
そして6周目。復路の直線をなかなか立ち上がってこない。
「止まったのか!?」と不安になっていると、かなりペースを落とした我々のマシンが見えてきた。
予選とまったく同じような光景だ。

 6周を終われるのかと不安になったが、ゆっくりとコントロールラインを越えていく。
折り返しの大きなコーナーを回りきれば、下りになる。
ゆっくり走るスピリット・オブ・スワッコ '97の横を「スーパーでんち君」が抜いていく。
下りに入った。風にも助けられて徐々に加速していく。
残り時間は8分程だ。

本戦4  下りから平坦になるあたりでマシンが止まった。
まだ時間はある。バッテリーが回復してくるのを待つ
諏訪湖電走会の仲間がマシンの横に集まった。
残り5分を切った。再び動き始める。
スピードはゆっくりではあるが、モータがチェーンを駆動する音が
確かに聞こえる。
少し距離をかせいだところで終了の花火が打ち上げられた。
レギュレーションに従い、10秒以内に停車した。

レースが終了した。
オフィシャルが到着し、距離計測とバッテリーやウェイトなどの
チェックを済ませる。

ようやくドライバーの中田氏が開放された・・・・・

レース終了  決勝レースの結果は、37.13521kmを走行して74台中36位であった。
予選とほぼ同じ結果である。
トップチームとは大きな差があるが、走行距離は自己ベストの成績である。

 優勝は「スーパーでんち君」で、走行距離は 69.96650kmと、
70kmまでわずか33.5mを残した。
2位には昨年僅差で「スーパーでんち君」を振り切った
「エレキング早稲田II」が入った。
走行距離は69.91850kmで、トップとわずか48m差である。
3位にタレントの高橋里華の「ながもちでんち君」が入り、
レースに花を添えた。


表彰式・閉会式

 表彰式は、当然のごとく入賞者の姿を遠目に眺めるだけだった。
強気のコメントや笑いを誘うコメントなどが飛び出し、会場を沸かせる。
諏訪湖電走会のメンバーは、なんとなく無口になっていた。

グッドデザイン賞 が、各賞の発表に移ったところで、うれしい出来事があった。

スピリット・オブ・スワッコ '97が、
「グッドデザイン賞」を受賞したのだ。


そういえば、実況アナウンスでボディ形状を誉められていた覚えがある。
大橋代表がステージに上がり、賞状と副賞をいただく。
最後の最後にメンバーから笑みがこぼれた瞬間である。


レースを終えて

 自己ベストの記録が出たことはうれしいが、74台中36位という結果は不本意であった。
ちなみに、もしも去年の大会でこの距離を走っていれば、10位台の成績である。
この1年で他のチームの実力がいかに伸びたかがわかるというものだ。

−−−−我々は明らかに取り残されてしまったのだ。−−−−

 今回の結果は、今後の諏訪湖電走会の活動方針におおきな影響を与えるものであった。
どうすれば満足な成績を残せるマシンを作れるのか、我々に何が欠けているのか・・・

さまざまな想いとともに、我々は諏訪まで12時間の帰路についたのであった。


最後に、今年も数々のご協力・ご声援ありがとうございました。

(本文・写真:岩田裕二 E-MAIL: webwheel@alles.or.jp 
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