1998ワールドエコノムーブ参戦記
総合31位 走行距離は自己ベスト
ワールドエコノムーブへのチャレンジも、今年で4年目を数えることになった。
諏訪湖電走会は、昨年の「スピリット・オブ・スワッコ '97」のモーターを変更し、
細部をリファインした「スピリット・オブ・スワッコ '98」による挑戦である。
マシン製作
'97ワールドエコノムーブにおいて「グッドデザイン賞」を受賞した
「スピリット・オブ・スワッコ '97」の
欠点の一つにモーターのオーバースペックがある。
もともと電気スクーター用のモーターであるため、出力が高く効率が良い反面、
耐候性の高い鋳物のモーターケースは非常に重く、またコントローラユニットも
高性能ではあるが大柄で重いものであった。
そこで今年は地元の岡谷工業高校の先生の協力をいただき、
彼の計算データを元に新たなモーターを選定した。
モーターの変更にともない、モーター取付け部やギアボックスの大幅な改造が
必要となったため、メンバーの1人が図面を描き、機械加工のプロである
別のメンバーに製作を依頼した。
また、今回はバッテリーとモーターを直結することで、コントローラによる電気的なロスを
低減させることになり、操作スイッチ類の改造も必要であった。
これらの作業に加えて、実は我々がもっとも心配していたのはシャーシ剛性であった。
というのも、「スピリット・オブ・スワッコ '97」は、軽量化を実現するために
かなりシビアなフレーム構成を採用しているためである。
昨年のレース走行によってシャーシが歪んでいる心配があるのだ。
平らな場所にシャーシを置いてみると、案の定地面に対して後輪の垂直度が出ていない。
どうやら昨年の走行によって、シャーシ全体がねじれているようだ。
そこで、フレーム修正をかけることになったのだが、いかんせん元々剛性のないシャーシだけに、
2人で前後を持って無理矢理ねじるという荒技を用いることで容易に修正できた。
もっとも、「容易に修正できる」ということは「容易に歪む」ということでもあるのだが・・・
昨年まで使用していたモーターとコントローラーを外し、250Wのモーターと
新設計のギアボックスを取り付ける。昨年のモーターに比べて明らかに軽い。
これに合わせて電装系を改造する。昨年までは48V仕様であったが、
今年のモータは24Vであるから、必然的に配線の方式も変わってくる。
大会のレギュレーションは12Vのバッテリーが4個であるから、
我々の組み合わせは24Vの並列になるわけだ。
2個ずつ並列に組み合わされた2セット(Aセット・Bセットと呼ぶ)の
バッテリーそれぞれにON/OFFのスイッチをつけた。
これにより、片方のセットだけでも使えるし、
両セット同時に使うこともできるわけだ。
どのような使い方がもっとも効率がいいのかは、
テスト走行の中で決めていくことになる。
配線の最終点検を済ませて、いよいよモーターに火を入れることになった。
「スイッチオン!!」。モーターが勢いよく回り、一同がほっと息をついた。
しかし、無負荷で回ったからといって安心はできない。
ドライバーが乗った状態で十分な起動力が得られなければ意味が無いのである。
(実は昨年も新しいモータを試したのだが、人が乗った状態で発進できなかったのだ。)
そこで、筆者が乗って発進をしてみることになった。
実際のドライビングポジションは地面に寝そべるような姿勢であるが、チェーンのカバーが
まだできていないことから、安全のために上体を起こした姿勢でハンドルを握った。
24Vx2セットの電源をONにしてから、いよいよモーターのスイッチを入れる。
「モーター直結の配線だから、ゆっくり発進というわけにはいかないはずだ・・・」
そう思いながらスイッチをONにすると、思ったとおりに急発進!! しかも速い!!
ガレージのコンクリート床にはタイヤのブラックマークが残るほどだ。
「ゲゲッ!!」
狭い駐車場なので、駐車車両を避けようとステアリングを切ると、
上体を起こしているせいで重心が高いため、車が右に傾きはじめた。
必死に立て直そうとがんばったが、あえなく転倒・・・
なおも走り出そうとする車を止めるために、あわてて電源をOFFにした。
「大丈夫か?」と、仲間が走り寄ってきた。幸いにして筆者にケガはない。
ところが、ここで思いもかけぬことが起こった。
メンバーの一人が、電源がまだONであると勘違いして電源スイッチを操作したのだ。
そのとたんに車だけが走り出し、あわてて止めようとした彼は、回転するチェーンで
指に裂傷を負ってしまったのである。
結局、外科病院で数針縫うことになってしまい、諏訪湖電走会はじまって以来の
「怪我人第一号」となったのである。
テスト走行
試運転での教訓から、微動スイッチを追加することになった。
そのプッシュボタン式のON/OFFスイッチは、いわゆるボリュームのように
無段階に回転数を変えられるものではなく、押している間はON、離すとOFFという
単純なものである。
しかし、これによってゼロ発進はかなり楽になったのである。
テスト走行は、毎年使用している広い駐車場で行なった。
レース会場の大潟村ソーラーラインほどの広さがないため、完全なデータ取りはできないが、
わずかについた傾斜のおかげで、上り下りの傾向は確認できる。
今年新製作したギアボックスは、2種類の変速システムを持っている。
一つは自転車のハブ内挿5段ギアを操作するグリップシフト。
もう一つはモーター直後の2段ギアを組み替えるシフトレバーである。
実際に変速の必要性があるかどうかはわからないが、大潟村ソーラーラインでの
セッティングが確定していないので、いろいろなギア比に対応しようというものである。
駐車場を数周回った後で、変速を試みる。
グリップシフトの内挿ギアのほうは、市販品だけあって大きな問題はないだろう。
しかし、メンバーが設計したシフトレバーの2段ギアの安定性には不安がある。
駐車場の短い直線の間で変速をするので、けっこう恐怖心にあおられるが、
グッと耐えながら内作のシフトレバーでシフトアップをしてみる。
ギアが噛み合う音がしたと同時にモーターのうなりが変化する。
シフトアップができた。が、短い直線なので、すぐにブレーキング&シフトダウンだ。
恐怖心を抑えながらシフトレバーを戻し、ブレーキを緩めながらアクセルON。
「ガチャッ」という金属音がしたが、マシンは再び加速を始めた。
シフトダウンがうまくいったようである。
「大丈夫だ・・・」と安心しながら同じように2周ほど回り、
直線の終わりで再度シフトダウンをした。
そしてアクセルをONにすると一瞬加速力を感じたが、すぐに駆動力を失った。
「???」
マシンを止めて駆動系を確認したところ、チェーンが外れていた。
とりあえずチェーンを張り直してまた走り出したが、同じポイントでまた外れた。
チェーンが外れる原因は大体予想がついていた。
シャーシの剛性不足のため、モーターと車輪の間隔が路面のギャップで変動し、
間隔が狭くなった瞬間にチェーンが外れるのである。
チェーンの外れ止めを製作しなくてはならない。
仕方なくその日はテスト走行を終了し、チェーン外れ止めを急遽製作して
後日再びテスト走行をしたところ、チェーンが外れるという問題はなくなった。
とりあえず一安心ではあるが、いずれにしろこのシャーシは今年限りで引退だろう。
こうして無事にテスト走行は終わった。
ただ、ファーストドライバーの窪田氏(95・96年のドライバー)が仕事の都合で
テスト走行に参加できなかったことが不安材料ではあるが、予選日の公式練習時間の
走行でマシンに慣れてもらうことにする。
秋田へ出発
秋田へ出発する直前になって、ドライバーの窪田氏が都合により参加できないことが発覚した。
昨年のドライバーの中田氏も、6年に一度の御柱(おんばしら)祭にかり出されるため
もとから不参加であることが通知されている。
そんなわけで、セカンドドライバーとして登録してあった筆者がドライバーに決定した。
今回の遠征メンバーは全部で6人である。
トランスポーターと乗用車の2台に分乗して、一路秋田県の八郎潟へと向かう。
出掛けに確認した天気予報はうれしくないものであった。
そして天気予報のとおりに、道路が川になるほどの大雨に見舞われた。
予選・決勝の2日間の天候はいったいどうなるのか・・・
5月2日の夕方に諏訪を出て、5月3日の早朝に現地に到着した。
現地はほとんど雨は降っていなかった。
例年よりも若干早く着いたせいか、まだ数チームしか姿を見せていない。
まわりが動きを見せ始めるまで、一行はひたすら眠る。
フリー走行
5月3日の公式練習日。続々と現地に到着した各チームが動き出した。
我々諏訪湖電走会も、いよいよ活動を始める。
トランスポーターからマシンや工具などをパドックのテントに運ぶ。
さっそく練習走行を開始した。
本番のコースで新しいモーターのデータ取りをしなければならないのだ。
特にギアセッティングと変速の方法については諏訪から持ち越した課題だ。
空は曇ってはいるが、雨は降っていない。
バッテリーを装着して配線をチェックしたのち、
ヘルメットとグローブを身につけた筆者が乗り込む。
筆者はこのコースを、95年の第一回大会のレース終了後に競技車両で1周したことがあるが、
その時とはシャーシもモーターも走るべき距離も違う。
ましてエネルギーマネージメントもしなくてはならない。
電源スイッチをONにして走り出す。スムーズに車が前に出た。
電源スイッチの近くに設置された電流計を見ながら、だんだんとスピードを上げる。
平坦で広いコースだから、恐怖心はほとんどない。
シャーシが微妙にコースの段差を拾って、筆者の背中を痛めつけるのはいただけないが・・・
変速をしながらいろいろなギアの組み合わせを試していく。
計算上は平均3アンペアで走れば良いことになるが、上り/下り、また風上/風下によって
走行状況は変わるので、常に3アンペアで走るのがいいというわけではない。
2周ほどの周回で、それらしいギアのセッティングを見つけた。
本当に3アンペア平均であるかは自信がないが、電流値の変化からするとこんなあたりか。
後は昨年までのラップタイムと比較して判断することになるだろう。
公式練習(兼公式予選)
練習走行終了後しばらくしたところで、雲行きが怪しくなってきた。
参加者が不安そうに空を見上げる中、ついに雨が降り出した。
決勝レース直前に雨が降り出した昨年のことが頭をよぎる。
雨足は次第に激しくなり、コース上に川が流れ始めた。
予選の開始時間を遅らせるという場内放送が流れた。
電気自動車にとって、雨は大敵である。
参加者の中には、屋根のないオープンボディのマシンも多い。
しかし、年に一度のイベントということもあって、主催者も簡単に中止にはできないだろう。
やがて雨足が弱まってきた。予選の開始時間が告げられる。
筆者もマシンに乗り込む準備を始めた。
ここで昨年と同じ悩みが生まれた。スクリーンを切除するか否かだ。
昨年同様、最終的な判断はドライバー、すなわち筆者に委ねられた。
「明日の決勝に、良いマシンコンディションで臨みたいので、切らずに行きます。」
しばらく悩んだ末に筆者が下した判断であった。
「よし、わかった。だが、少しでも危険だと判断したらすぐに走行を中止しろよ。」
と、大橋代表が言う。
マシンに納まって予選グリッドに並び、スタートを待つ。
前方視界はそれほど悪くない。
やがてスタートの合図があり、前方のマシンが動き出した。
電源を投入し、マシンをスタートさせた。
ここで追突でもしたら万事休すなので、周囲に気を配りながら進む。
前が詰まってきたので、マシンをアウト側に向け、遅いマシンを抜いていく。
前方がひらけたので、さらにスピードを上げようとしたその直後、
突如としてパイロンが真正面に見えた。
「!!!」と冷や汗をかきながらブレーキをかける。
スクリーンの死角に入っていたため、発見が遅れたのだ。
なんとかそのパイロンをよけて、再びスピードを上げようとしたところ、
今度は前方を走っていたマシンが突然横を向いてコースをふさいだ。
どうやら後方のマシンにお尻をつつかれたようだ。
「おいおい、頼むよ・・・」と口にしながら、再びブレーキをかけて避ける。
この時点で、ようやくコントロールラインを通過したのである。
コントロールラインを過ぎると往路の下りである。
左に目をやると、スターティンググリッドと本コースとの合流点の手前にある
芝生の段差に乗り上げて動けなくなっているマシンが一台。
視界が悪かったせいか、あるいは他の車に進路をふさがれたのか・・・
「あれまあ、いきなりリタイアかい?」と思いながらその横を過ぎるが、
他人の心配をしている場合ではない。
我がスピリット・オブ・スワッコ98号はというと、スクリーン上に雨粒が乗っているために
視界はかなり悪い。だが、前がまったく見えないというわけではない。
パドック前の勾配のない平坦な路面に思わぬ敵が潜んでいた。
路面の荒れた部分でややマシンが跳ねたと思ったその直後、
尻から背中にかけて冷たい感触が筆者を襲ったのだ。水たまりである。
「冷てえー!!!」
たまらず声を上げる。どうやら浸水したようだ。
我々のマシンは2本のメインフレームにフラットな床を張り、その上にボディを被せている。
そのため、舟形形状のマシンに比べて、容易に水が入ってきてしまうのだ。
これ以後、筆者は足腰と背中の冷えに悩まされることとなった。
スタートして1キロあたりから、コースは完全な直線になる。
練習のデータに基づき、シフトチェンジをするが、練習走行の時と「速度:電流値」がやや違う。
どうやら川のような路面のせいで、走行抵抗が増加しているらしい。
他に適切なギアがあるか試みるが、他のマシンに注意しなくてはならないので気が抜けない。
前方視界が悪いため、コース幅に対してどこを走っているのかがわかりにくい。
やむなく、片側2車線のコース上の中央付近を走る。
レギュレーション上は問題があるが、センターライン意外に目安になるものが見えないのだ。
視界がさらに悪化してきている気がする。
暗いカラーリングの他チームのマシンが、かなり接近してから突然視界に入り、あせる。
まったく気づかないうちに真横に並んでいて接触しそうになることも数回・・・
我がスピリット・オブ・スワッコ98号のペースは、全チームのちょうど中間ぐらいだろうか。
したがって、抜くことと抜かれることが同時に起きる可能性が非常に高く、
気を抜いている暇がまったくない。これは大変だ!!
3キロの直線が終わり、折り返し点が近づく。
晴天時よりはるか手前から減速。コース脇の目標物を探す。
前方が詰まっているため、あやうく追突しそうになりながらもなんとか折り返す。
復路の上り用のギアにシフトチェンジ。とりあえず駆動系は大丈夫だ。
あいかわらず視界は悪い・・・と思いきや、さらに事態が悪化していることに気づき愕然とする。
自分の体温のせいで、スクリーンが曇り始めたのだ。
スクリーンを拭こうにも、寝そべった姿勢のつま先のあたりだから拭きようがない。
「おいおい、マジかよ・・・」
それからというもの、見るまにスクリーンが曇っていく。まったくシャレにならない!!
こうなってはペースを大幅に落とすしかない。
そして走行ラインも一番左端に変更。前方に神経を集中して走る。
左に寄りすぎて、時々コースアウトしそうになり、あせる。
そうして復路をスタートラインまで上ってきたところで、大きな選択に迫られた。
「走行を続けるか、否か」
このまま前方に気を配ってゆっくりと走ればなんとか続けられるかもしれない。
それに、もしも明日の決勝が雨で中止になれば、この予選の結果がそのまま最終結果になるのだ。
しかし、この視界の悪い中で万が一事故を起こさないとも限らない。
大事なマシンが壊れるぐらいならまだいいが、他のチームに迷惑をかけるようなことだけは、
絶対に避けなければならない。さて、どうする!?
コントロールラインを過ぎて、大きなRの折り返しコーナーをゆっくりと回り、
再び往路の下りへと入る。パドックはもうすぐだ。どうする!?
じっと考えてから、筆者はステアリングを切ってパドックに入る。
「リタイア」という結論を出したのである。
「どうした?」と大橋代表。
「だめです。視界が悪すぎます。これ以上続けるのは得策ではありません。」筆者が答える。
「わかった、何かあってはまずいからリタイアしよう。」大橋代表がそれに答えた。
結局そこで予選走行を終了し、後は観戦することになった。
周回を重ねるごとにリタイヤする車が増えていく中で、高校生を中心とした
ジュニアクラスがハイペースを保っている。
それは「恐れを知らない」という言い方がぴったり合うようなものであった。
そもそも車を運転した経験がないのだから、「運転マナー」が身についていないのであろうが、
危険なシーンも多数あり、一考の余地があると感じた。
決勝レース
決勝当日を迎えた。
雨が降る様子はない。
どうやら今日はドライでのレースができそうだ。
昨日の予選では1周でリタイアしたので、新しいモーターを搭載してから
まだ2時間フルに走ったことがない。
練習・予選とも大きなトラブルは出ていないことが拠り所ではあるが、
それが逆に「決勝レースでトラブルが出るのでは?」という不安につながる。
しかし、ここまできたら、スピリット・オブ・スワッコ号を信じるしかない。
コースが閉鎖され、ドライバーズ・ブリーフィングが始まった。
そしてコースコンディションや注意事項が説明される中で、その事件は起こった。
閉鎖されたはずのコース内で走行を続けていた1台のマシンが、
ドライバーズ・ブリーフィングの列に突っ込んでしまったのである。
マシンのカウルがはじけ飛び、列の中の一人が激しく転倒するのが見えた。
突然の事態に、あたりは一時騒然となった
昨日の大雨の中での予選走行で、多くの事故が発生した矢先でもある。
幸い、転倒した人は大事には至らなかったようだが、
突っ込んだマシンがトップを争うチームの一つであったことが事件性を高めた。
「マシン製作」の項でも書いたが、今回は我々のチームでもマシン製作過程で
怪我人を出しており、反省すべき点が多いと感じていた。
たしかにエコランは手軽な競技会ではあるが、80kg以上の質量を持つものが
50〜60km/hの速度で走るのだから、人間を傷つけるだけのエネルギーは十分に持っている。
「アマチュアが楽しく参加できる」ことがうたい文句ならば、
「誰もが安全に参加できる」ことが大前提であるし、なにより怪我をした当人が
一番つまらない思いをするのだ。
ここで、直接的に該当チームや主催者を非難するつもりは毛頭ない。
ただ、4回目ともなり、自分達も含めた参加者一人一人に油断がなかったかどうかを再度確認し、
来年の大会へとつなげていきたいと感じるのみである。
騒ぎも一段落ついて、いよいよ決勝レースのスタートが近づいた。
昨日の予選で1周リタイヤしているため、我々はスタートラインから遥か後方の
65番グリッドからのスタートとなる。
上流側の折り返しにあたる、非常に大きなヘアピン状コーナーの頂点あたりだ。
マシンの最終チェックを済ませ、ヘルメットとグローブを装着してマシンに乗り込む。
スイッチ類を確認した後、カウルが被せられた。
昨日とは違って、視界は良好である。
そしてスタート。
電源を投入して、モーターのスイッチをON側に倒す。
微調整用のプッシュボタンを用心深く押しながら、前進する。
大荒れの予選のおかげで、本来の実力とは無関係なグリッド順になっているため、
後方集団の中でもペースがまちまちである。
大外から、優勝候補のZERO TO DARWIN PROJECTのマシンが抜いていく。さすがに速い。
彼らは昨日の予選をキャンセルしたので、最後尾からのスタートなのだ。
しかし、我らがスピリット・オブ・スワッコ'98号もゼロ発進はそんなに遅くはないので、
遅いマシンを避けつつ、後方のマシンにも注意しながら徐々にスピードを上げる。
コントロールラインを過ぎ、コース幅がグッと広がる。ここから3kmの直線だ。
電流計を見る。電流値に問題はない。
頭の後ろから聞こえるモーターの音も、チェーンが駆動する音も正常だ。
スピードが乗ってきたので、シフトアップを行なう。
ギアの噛み合う音がして、一瞬駆動力が切れた後、マシンは再び加速を始める。
とりあえず、駆動系にも問題はなさそうだ。
ホっと一息つく。
ストレートで、前方の遅い車を抜いていく。
路面から背中に伝わる突き上げ感が不快だが、
昨日の水溜まりのことを思えばまだ快適だ。
やがてストレートが終わりに近づき、折り返し点のコース脇に
立ち並ぶ旗が目に入った。
モーターのスイッチをオフにして、進入のラインを調整する。
ペースの遅い車が列を作っているが、無理なラインでは折り返せないので
ブレーキをかけながらその後ろにつく。
折り返し後の加速に備えてシフトダウン。
タイトな折り返しコーナーを出来るだけ大きく回ってから、モーターのスイッチを投入する。
惰性で走る車に、モーターの駆動力がグワっとかかるため、緊張の一瞬だ。
チェーンの張る音がして、マシンは再び加速し始めた。OKだ。
ここから復路の上りはじっと我慢の走りである。
電流計とにらめっこしながら、もっと加速したい気持ちを抑える。
ストレートが終わると、パドックのテントが見えてきた。
コントロールラインを越えて、折り返しの大きなヘアピンを回っていく。
ここから再び下りに入り、マシンは重力の恩恵で緩やかにスピードを上げていく。
諏訪湖電走会のピット前を通過する時に、仲間が手を振るのが確認できた。
その後3〜4周は、大きな変化も無く周回をこなしていった。
5周目の下りの折り返しが近づいたときに、一台のペースの速い車が抜いていった。
折り返しのコーナーへの進入で、そのマシンの後ろにつく形になる。
軽くブレーキを握りながら、出来るだけスムーズに曲がれるスピードまで下げていく。
と、前の車の進入スピードがやけに高いことに気づいた。
「おいおい、そのスピードで曲がれるのかい?」
イヤな予感がした筆者は、さらにブレーキをかけて、通常よりも速度を落とした。
案の定、前の車はオーバースピードの遠心力に負けて、一気に横倒しになり転がった。
それを横目で見ながら、折り返し点を通過する。
ドライバーの怪我が心配だが、フルカウルのボディでヘルメットもかぶっているから、
そんなに大事にはならないだろう。
レース後に、折り返し点で見ていたメンバーに聞くと、外から見ていてもヤバイとわかる
スピードで突っ込んできたらしい。
それにしても、今年はクラッシュが多い。
5周目ともなると、リタイアしてコース脇に停まるマシンが増え始めた。
スピリット・オブ・スワッコ'98号は順調だ。
メカニカルトラブルも起きていないし、バッテリーの力もそれほど弱ってないようだ。
窮屈な姿勢で首が痛くなってくるが、耐えられないほどではない。
タイヤの隙間から入ってくる風で体温が奪われるが、予選走行の反省から
貼り付けるタイプのホッカイロを腰に装着しているのでさほど寒くはない。
ただ、靴を脱いでいるために、靴下の足先がやや涼しく感じる。
6周目の登りあたりから、バッテリーの消耗を感じ始めた。
速度が思うように上がっていかない。
電流計を見ながら、出来るだけバッテリーに負荷をかけないように走る。
トップグループの車が抜いていく。
彼らのマシンは相変わらず高い速度を維持したままだ。
こちらも速度が落ちたとはいえ、さらにペースの遅い車を抜いていく。
本当はあまり進路変更をしたくないのだが、しかたがない。
コントロールラインを越えて、7周目に入った。
ピットでも、バッテリーの消耗状況はわかっているはずだ。
・・・と、筆者の視界に信じられないものが飛び込んできた。
ペースアップの指示が書かれたピットサインである。
驚いてそのサインを出している今井氏の顔を見ると、満面の笑み。
すぐに、それがジョークであることを理解した筆者は思わず吹き出してしまった。
狭い視界と小さな電流計の針とで緊張が続いているドライバーにとって、
そんなちょっとしたことが緊張をほぐしてくれるのである。
昨年('97)の我々の走行距離は、37.13521kmであった。
一周が6kmだから、6周と約1kmである。
ゆっくりとではあるが、その距離を更新していく。
まだまだバッテリーに電力は残っている。
しかし、この7周目を終わることが出来るのかは怪しい。
パワーが落ちているので、シフトチェンジのポイントが変わっている。
選択するギアもスタート時とは違う。
折り返し点が近づいた。
下りから登りに変わるこのポイントを慎重にクリアしていく。
失速しすぎると、二度と発進できないような気がして怖い。
何とか折り返したが、前のようにシフトアップするだけの速度までは上がらない。
今はもう「とにかく7周をクリアしたい。」という思いだけだ。
路肩でリタイアしているマシンがあちこちに見受けられる。
その一方で、いまだに速度を保って抜いていくマシンもある。
ピットのテントが視界に入り、コントロールラインが近づく。
何とか7周を回ることが出来た。
ピット前を通過するときにサインボードを見ると、案の定上向きの矢印だ。
それを横目で見ながら、下りの直線に入る。
しばらくは重力の助けを借りて惰性で走っていくことができる。
バッテリーの電力はもう残りわずかである。
時計を見ると、タイムリミットの2時間まで数分しか残っていない。
下りで速度が乗っているうちに、バッテリーをOFFにして休ませる。
ただし、一旦止まってしまっては再発進は厳しそうなので、
速度が落ちきらないうちに再び電源を投入する。
時計を見る。
残り時間が1分を切っていた。
あるだけの電力で行けるところまで行くだけだ。
そして時間切れ。
レギュレーションに従い、すぐにブレーキをかけて停車した。
そしてレースが終了した。
トータルで7周と1kmほど走っただろうか。
いずれにしろ、自己ベストの距離が出たことは間違いない。
カウルを外し、オフィシャルの到着を待つ。
2時間も狭い空間に押し込められていただけに、開放感は大きい。
諏訪湖電走会の仲間がまわりを囲み、ねぎらいの言葉をかけてくれた。
こうして、筆者にとってドライバー初体験であった'
98年ワールド・エコノ・ムーブが終了した。
レース終了後しばらくして、最終結果が発表された。
我々の走行距離は7周と1285.25m
これにスタート位置の補正分165mを加えて、トータル43.50025kmであった。
総合順位は本戦出場の76台中31位で、昨年同様ほぼ真ん中の順位である。
優勝は「スーパーでんち君」で、走行距離は 69.5928kmと、
今年も70kmの壁を越えることが出来なかった。
2位には昨年に続いて早稲田大学の「ELEKING WASEDA」が入ったが、
走行距離は68.2165kmと、トップから若干水を空けられた。
3・4位にチームスーパーエナジーの「スーパーエナジーV・スーパーエナジーIV」が入った。
レースを終えて
今年は、第一回以来初めてモーターを変更したわけであるが、
結果的に自己ベストの記録が出たことから、この変更は正解であったようだ。
しかし、いかんせん剛性が低下した1年落ちのシャーシでは、
その性能を十分に発揮できなかったことが悔やまれる。
ワールドエコノムーブ全般では、2時間で70kmというのが一つの壁になっているようで、
ある意味ではこの競技が飽和状態にあるのかもしれない。
しかしながら、ようやく40kmを越えた我々にとってみれば、まだまだトップチームの後ろ姿さえ見えない。
目指すべき目標は遠く、その道のりは長い。
しかし我々は、年に一回のこのイベントを、もっともっと楽しんでいきたいと思う。
来年に向けて、さらにステップアップするための努力を続けて行くのだ。
最後に、今年も数々のご協力・ご声援ありがとうございました。
(本文:岩田裕二 E-MAIL: webwheel@alles.or.jp )
SUWAKO DENSOKAI'S HOME PAGE