1999ワールドエコノムーブ参戦記
総合13位 走行距離は自己ベストを大幅に更新
今年で5年目となったワールドエコノムーブへのチャレンジ。
諏訪湖電走会は、97・98年型のマシンコンセプトをさらに発展させた新マシン、
「スピリット・オブ・スワッコ99」を投入した。
このマシンにより、予想をはるかに上回る結果を残すことができたが、
その裏で我々諏訪湖電走会が抱えていた苦悩とは?
◆始まり
1999年の2月のある日、諏訪湖電走会のメンバーは渋い表情でテーブルを囲んでいた。
議題は、今年も5月連休中に開催されるワールドエコノムーブに参戦するか否か、というものであった。
その時点ではマシン開発は全くの手つかずであり、残された時間での新マシンの製作は不可能に思えた。
昨年・一昨年と2年間使用したスピリット・オブ・スワッコ'98は、2時間の走行に耐えるだけの
シャシ剛性をもはや失っており、仮に補強・改造を施したとしても、有意義な結果が得られる目処はない。
やがて、諏訪湖電走会の代表である大橋氏が重い口を開いた。
「今年は全くの準備不足であり、このままでは参戦しても意味が無いかもしれない。
期待していたみんなには申し訳ないが、今年は参戦を取り止めても仕方ないと考えている。」
それも仕方ない・・・そんな空気が一同を包む。確かにそれを否定する材料は少なすぎた。
正直なところ、筆者もあきらめていた一人であった。
しばしの沈黙の後、技術担当の今井氏がおもむろに口を開いた。
「いや、今年は新しいマシンを開発しましょう。アイディアはもう練ってあります。
確かに時間は無いけれど、最初の年のようにみんなで時間を作って作業すれば、
きっといいマシンが作れますよ。」
最初の年・・・それは4年前の1995年のことである。
この年に初めて開催されることになった第1回ワールド・エコノ・ムーブに向けて、
諏訪湖電走会のメンバーは冬の寒い夜に時間を惜しむように集まってマシン製作に没頭したのである。
何もかもが初めてであったが、みんなでアイディアを出しあって完成させた初代スピリット・オブ・
スワッコ号から
すべてが始まったのである。
「そうですよ。今年は新しいメンバーも増えたことだし、何とかなると思いますよ。」
中田氏が今井氏に同調した。
1997年の第3回ワールド・エコノ・ムーブでマシン設計兼ドライバーを勤めた彼は、
昨年は諏訪の名物である6年に一度の「御柱祭」に全力を注いでいたため、
第4回ワールド・エコノ・ムーブに参加することが出来なかったのである。
その無念さもあったのだろうか、彼の言葉には力がこもっていた。
中田氏の言う新しいメンバーの一人は、精密板金のコジマ工業に就職した松井君のことである。
彼はもともと山梨県の出身であるが、電気自動車に興味を持ち、
インターネットで諏訪湖電走会のホームページを見つけ、ぜひ仲間になりたいと連絡してきたのである。
その縁から、岡谷市で精密板金を営むコジマ工業に就職を決め、日夜溶接・加工技術を磨いているのである。
今までの諏訪湖電走会には無かった技能をもつ松井君の登場が、
新マシン製作にとって強力な助けとなることは疑いない。
もう一人の新メンバーは、大橋代表の部下である木下氏だ。
彼は根っからの車好きであり、旧車をレストアするなど非常に精力的である。
さらに、本業では工作機械・工具販売の営業マンであり、機械に関する幅広い知識と
部品調達能力には大いに期待できる。もっとも、彼の最大の魅力はその「とぼけた個性」であるが・・・
話し合いを続けるうちに、いつしか我々は「新マシンの仕様」に関する議論に夢中になっていた。
そう、すでに1999年のチャレンジが動き出したのだ。
◆マシン製作
今井氏のアイディアを元に、新マシンの開発が始まった。
前面投影面積を減少させるために、従来のマシンよりも
トレッド(左右のタイヤ幅)を狭くし、さらに空力特性向上のために
レギュレーションで決められた全長3メートルを目一杯使う。
このコンセプトの元、中田氏が3次元CADを活用して
フレームとボディの設計を行なった。
エネルギーロスを極力減らすために、昨年まで用いてきた
変速機構は廃止する。この結果モーターの起動ショックが
問題になるため、発進時専用にPWM制御回路を組み込むことにする。
PWM回路の設計・製作は、電気回路のプロである相沢氏が担当したが、
コンパクトで美しく仕上がったコントロールボックスを見て、
メンバーの誰もが相沢氏の技術に感心した。
駆動系では、抵抗の大きい自転車用のチェーンをやめ、
より細く軽量な産業用のチェーンを採用した。
また、我々にとって初めての試みとして、エコラン用タイヤとして有名なミシュランのバルーンタイヤを使うことにする。
各メンバーがそれぞれに多忙な本業に追われる中で、その意志決定力を高めたのは電子メールであった。
実作業の日程調整はもちろんのこと、具体的な仕様検討さえも電子メールによって行なったのである。
中田氏が3D−CADで設計した図面やイメージ図が、インターネットを介して各メンバーのパソコンに届けられ、
それを元に活発な議論がメール上で展開された。
「諏訪湖電走会」とは「電脳空間をも疾走する団体」であるのだ。
中田氏が仕上げた図面を元に、松井君がフレームの製作に入った。
昨年まではアルミの材料をボルト・ナットやリベットによって締結をしていたが、
どうしても完全な締結ができず、結果的にシャーシ剛性を低下させる原因となっていた。
しかし、今年は松井君の溶接の技術がある。
忙しい毎日の仕事の後で彼が仕上げたフレームは、軽量でありながら高い剛性を持つ素晴らしいものであった。
基本骨格はもちろんのこと、操作系部品などの取付ステーも溶接で接合していくので、作業効率も高い。
ステアリング機構は、97・98モデルで採用した片アームタイプである。
ステアリング特性が非常にクイックになるというデメリットはあるが、
寝そべる形で運転するドライバーの視界確保には有効である。
97・98モデルは、フレームの底に段プラの床面を貼りつけただけであったが、
新マシンはフレームを骨にして直接FRPで包み込む手法を取る。
これによりシャーシ強度はさらに向上し、その上に乗るボディの
強度確保にも貢献することになる。
また、万一雨が降った場合には、97・98型のように浸水することもない・・・
気温が低いため、FRPはなかなか硬化しない。そこで、ビニールシートや
ダンボールでマシンがすっぽり入るチャンバーを作り、
そこにジェットヒーターで熱風を吹き込むことで簡易乾燥室を実現した。
この効果は絶大であった。
マシン製作の途中で、岐阜県立高山工業高校の山下先生と
生徒さんたちが見学に訪れた。
今年の春先に、諏訪湖電走会のホームページを見て電子メールを
いただいたことから交流が始まったのである。
彼らもワールドエコノムーブへの参戦を計画し、さらには自分達で
電気自動車のイベントを開催しようという熱い意欲にあふれている。
マシン製作の過程をぜひ見たいという依頼を受けた我々は、
快く引き受けたのであった。
「ぜひ高山でイベントを開催したいんです!!」と話す山下先生の情熱に我々は感銘を受けた。
マシン製作の経験があまりないということなので、ローテクではあるが我々のマシンについて説明し、
要素部品やユニットに関するアドバイスをした。
ワールドエコノムーブの会場で顔を合わせるのが実に楽しみである。
ボディ以外のひと通りの部品を組み付け、走行可能な状態にした。
さっそくドライバーの中田氏が乗り込んでみると、予想外の問題が
浮上してきた。97・98モデルよりも一段と狭くしたトレッドが災いして、
太ももがタイヤの切れ角を制限してしまうのである。
中田氏の体格は、身長174cm 体重65kgと小柄とは言い難いが、
けして太っているわけではない。それでも太ももが邪魔になってしまうのは、
やはり設計上のミスというべきであろう。
しかし、それを言っても始まらないので、なんとか押し込む方法を
考えることにする。いろいろ検討した結果、太ももを矯正する
サブフレームを組み込むことにした。
これで2時間走るのはさぞや窮屈であろうが、ドライバー自身が
設計者なのだから、責任を取って我慢してもらうしかない。
ボディは、97・98モデルと同様に、段プラで形成する。
FRPやCFRPに比べるとけして軽量な素材であるとは言い難いが、加工の容易さと入手のしやすさという点で、
プライベーターには最適な素材の一つである。
97・98モデルでは、目分量で曲面を形成したが、今年は3次元CADによって展開図を用意した。
それを1/1で紙に出力し、それに沿って材料を切り出したところ、予定通りのボディ形状を
形成することが出来た。さすが3次元CADといったところか。
これに塩ビのスクリーンを貼り、やがてボディが組み上がった。
鮮やかなレモンイエローのボディを目の前にして、メンバーのそれぞれが胸を躍らせた。
そして誰からともなく「新しいマシンを作って良かった」という言葉が漏れた。
◆テスト走行
例年と同様に、広い駐車場で試走を行なった。
ドライバーの中田氏が乗り込む。
メインスイッチをONに投入してボリュームスイッチを回していくと、
まず発進専用のPWM制御が働く。「ギョヨーン」という発振音が響いて
マシンはゆっくりと走り始めた。
動き出したところでボリュームをMAXまで回すと、
PWM制御がカットされて直結状態になる。
それと同時に発振音は消え、周波数は高いが静かな音に変わった。
マシンはスムーズに走っていく。制御系には特に問題がないようだ。
新マシンには変速機構はないので、ターンの際に速度調整のために
モータの電源をカットする以外に、ドライバーはステアリングのみに
専念すればよい。
数周したのち、中田氏がマシンを止めた。そして「シャーシ剛性がすごく高い」と告げる。
そこで、昨年ドライバーとしてステアリングを握った筆者も試乗してみたが、
97・98モデルに比べて明らかに剛性は上がっている。
これならば、2時間の走行でもドライバーの疲労は少ないだろう。太ももが窮屈な点を除いては・・・
◆フリー走行
例年のように12時間かけて秋田に着いた。今年は予選・決勝ともに好天に恵まれそうだ。
予選走行の前にどうしてもやっておかなくてはならないことがある。
それはギア比の選択である。今年のマシンは変速機を廃止しているので、
減速比の選択を誤ると、レース結果そのものを大きく左右しかねない。
その意味において、適切な減速比を選ぶことが必須事項なのだ。
朝日が昇り、いくつかのチームが練習走行を始めた。
我々もトランスポーターからマシンと機材を降ろし、走行準備にかかる。
バッテリーの接続やタイヤの空気圧の確認が済み、
ドライバーの中田氏が乗り込んだ。
問題なくピット前を発進し、直線を下っていくのを確認した我々は、
スワッコ号が再び直線を戻ってくるのを待つ。
今年のレギュレーションでは自転車による伴走が禁止されているので、
とにかく待つしかない。
十数分後、不安な思いで待つ我々の元にスワッコ号が戻ってきた。
中央分離帯の終わるあたりでマシンを停めた中田氏が、
走行中の速度と電流値を告げると、今井氏がファイルに書き留めた。
その後、ギア比を変更しながら数周の走行を行ない、
予選用のギア比を決定した。
マシンを降りた中田氏の口から、シャシ剛性の高さを誉める言葉が出た。
しかし、同時に前方視界の悪さも訴える。フロントスクリーンの上部から
スラントする部分と前面を丸く縁取る部分とが交差する稜線が、
ちょうどドライバーの視線に重なっているのだ。
3次元CADでボディ設計をした際に、中田氏自身が前方視界を
確認したはずであったのだが、ドライバー空間をギリギリまで絞ったためか、
計算どおりに行かなかったようだ。
そこで、急遽フロントスクリーンの枠取りを薄くする作業を行なった。
予選走行の前に、車検が行なわれた。
5年目ともなると我々にも余裕がある。
問題なく車検をクリアして、予選のための準備が整った。
◆公式練習(兼公式予選)
予選のスタートはゼッケン順である。
我々はゼッケン11番なので、先頭から11番目からのスタートだ。
練習走行のおかげで不安要素は少ないが、選択したギア比が
果たして正解であるのかが心配だ。
やがてスタートの時が来た。我々のスピリット・オブ・スワッコ'99号は、
PWM制御の恩恵を受けて滑らかに走り出すと、すぐに直結回路に
切り替えてピット前のストレートを速度を上げながら下っていった。
ここから先はドライバーの中田氏にすべておまかせだ。
速いマシンや遅いマシンが入り乱れてスタートしていくのを
横目に見ながら、諏訪湖電走会のメンバーはコースサイドに散った。
決勝のために、コース各所での走行状態をチェックする必要があるのだ。
スワッコ号が折り返してくるのを一瞬でも早く確かめたい気持ちが
その足を速める。トラブルがなければ、12分程度で周回するのだが、
最初の1周だけは毎年のことながらとても長く感じる。
復路のストレートの途中で待つ筆者の前を、
ペースの速い上位クラスのマシンが通過していく。
スワッコ号はまだか?
しばらくして、ストレートの向こうからスワッコ号の黄色のボディが見えてきた。
「小さいなぁ」それが筆者の第一印象である。
マシン製作の章で述べたように、今年のマシンの最大のコンセプトは
「前面投影面積の減少」であった。
タイヤを外に出したペンシル型のマシンに比べると
確かに大きいのであろうが、正面から見て真四角の断面を持つ割には
とても小さく見える。
「かっこいい!!」無意識にその言葉が出た。
復路を登ってくるスピードは、我々の過去のどのマシンよりも速い。
体全体で大きくアクションを取って中田氏に合図をすると、
それに気づいて彼もマシンの中で軽く手を振った。どうやら快調のようだ。
昨年の我々の走行距離は43.50025kmであったが、新型は果たして
どれだけ走れるのだろうか?
快調なペースで周回を続けているスワッコ号は、6周目に入っても
ペースが落ちない。昨年までならば、このあたりからガクンと
ペースが落ちたはずなのに・・・
不安と期待が入り交じりながら、腕時計に目をやる。時間はまだある。
そしてついに未知の8周目に突入した。マシンのスピードは
まだ十分残っているようだ。
そして8周目もクリアして9周目に突入。時間は残り少ない。
どこまで距離が伸びるのだろうか?
時計を見ながら、筆者はコースを下り始めた。
時間的には復路の途中で止まるはずだ。
あるいは折り返すことができないのかも・・・
コースを下っていくと、見慣れた黄色のボディが目に入ってきた。
速度はかなり落ちているが、折り返し点を過ぎて1キロほど
登ってきたようだ。時計を見ると終了間近である。
まだ行けそうではあったが、明日の決勝に備えてマシンをいたわることも必要だ。
ドライバーの中田氏もよくわかっているのであろう、余力を残したままでマシンを止めた。
予選が終了してマシンに近づくと、中田氏の満足そうな顔が目に入った。
予選走行の結果は、8周と4キロを走ってトータル52,9938kmであった。もちろん自己新記録だ。
総合順位はゼッケンと同じ11位で、上位グループの中段といったところだ。
その夜の夕食は当然のごとく大盛り上がりであった。
予選の結果も予想以上であったが、酒と料理をふんだんに注文した夕食の代金もまた予想以上であった・・・
◆決勝レース
翌5月3日の決勝当日がやってきた。天気は良好だ。
皮肉にも、上出来だった予選走行の結果が我々に大きな悩みを
もたらしていた。それは、決勝用のギア比の選択である。
昨日の予選では、予想以上の結果を残すことが出来たわけだから、
予選のギア比のままで決勝に望むのがもっとも確実な
選択であるといえる。しかしメンバーの中から、
「予選と同じギア比では予選以上の走りをするのは
むずかしいのではないか?」という意見が出た。
あえてギア比を変えて挑戦してみるというのも一つの選択肢だ。
悩んだ末に、チーフメカニックの今井氏が決断を下した。
「予選と同じギア比で行こう」
守りに入ったわけではない。今年はバッテリー充電方法などに
工夫をこらしているので、同じギア比でも予選以上の走行が
可能であると判断したのだ。また、ドライバーも予選走行で
マシンとコースに十分慣れたわけだから、
予選以上にクレバーな走りが可能なはずだ。
決勝を前に、マシン各部の再チェックを行なった。
秘密兵器を使って充電したバッテリーは、
スタート直前までマシンには搭載しない。
やがて、グリッドに並べという場内アナウンスが流れ、
各チームともマシンを運び始めた。
我々もカートスタンドにスワッコ号を載せてグリッドに向かう。
予選順位が11位だったので、先頭から11番目のグリッドだ。
スタート直後の混乱を考えると、前方のクルマが少ないほど都合が良い。
山下先生率いる岐阜県立高山工業高校は27番グリッドだ。
初参加で40km弱を走行するとはなかなかのものである。
マシンのまわりで生徒達があわただしく動き回り、
コクピットのドライバーの緊張が手に取るようにわかる。
良い結果を残して欲しいものだ。
スタート時刻が間近に迫った。
ここで大橋代表がピットに指令を出した。
「バッテリーを持ってきてくれ!!」
しばらくして木下氏が大きなボックスを抱えてグリッドに走り寄ってきた。
そう、これが今回の秘密兵器である「恒温充電ボックス」だ。
バッテリーだけ取り出して抱えて来るものとばかり思っていた我々は、
まさか恒温ボックスごと運んでくるとは思わず、つい笑ってしまった。
後から考えると、あれはスタート前の緊張をほぐすための
木下氏の演出だったのであろうか?
電気担当の相沢氏が、電極を確認しながら手早くバッテリーを搭載する。
リアタイヤを上げてスイッチを入れ、タイヤが駆動されることを確認すると、
いよいよドライバーの中田氏が乗り込んだ。
ボディカウルを被せてバックミラーを調整し、ボディとシャーシとの
接合を確実に行なう。
スタート5分前の声に、チームクルーが工具とともにコース脇に下がった。
後は、ドライバーの孤独な戦いが待つのみである。
やがてチームクルーと観客が見守る中、決勝レースがスタートした。
まるで威嚇のようにも聞こえるPWM制御特有の
「ギョヨーン」という音とともに、スピリット・オブ・スワッコ'99号が
スタートした。すぐに直結回路に切り替えると、数台のマシンを
抜かしながら往路のストレートに入っていく。
きれいなスタートである。
しかし、発進速度がまちまちな中団以降のグループは大混乱だ。
予選の時と同様に、チームクルーがコースの各所に散る。
万が一トラブルで止まってしまった場合には、ドライバー以外の
誰もマシンに触れることはできない。
しかし、チームクルーがそばにいれば、適切なアドバイスを
与えることができるかもしれない。
もっとも、止まってしまうほどのトラブルから復旧できるほどの
工具や部材を積んでいるわけではないのだが・・・
トップクラスのチームが、復路の直線を登ってきた。
予選で大会史上初めて走行距離70kmの大台を突破した「スーパーエナジーVer.5.1」に注目が集まる。
優勝候補の筆頭である「スーパーでんちくん」や早稲田大学の「ELEKING WASEDA」も、やや間を空けてこれを追う。
やがて、スワッコ号の黄色いボディも視界に入ってきた。
予選とほとんど変わらないタイムで戻ってくる。マシンの状態は非常に良好だ。
昨日の予選で、十分な実力を確認しているので、見ていてもかなり気が楽であるが、突発的なトラブルだけは怖い。
結局のところ、毎周回ごとにスワッコ号の姿を見るたび、ホっと息をつく筆者であった。
快調に周回を続けている我らがスワッコ号を見送りながら、ふと、岐阜県立高山工業高校のマシンが
見当たらないのに気づいた。何かトラブルでもあったのであろうか?
コース脇で観戦しているためにレース全体の状況がわからないのが残念である。
※彼らはスタート前のマシン調整時にトラブルを抱えてしまい、その復旧に時間を費やしていたのであった。
中盤を過ぎてから、観戦ポイントを変えることにした。
片道3キロのうち直線が2キロ以上を占めているのだが、歩いてみるとその長さがわかる。
やがて折り返し点に到着した。トレッド幅(タイヤ幅)を狭めた今年のマシンが、
折り返し点の狭いUターンをどのように走行しているのか気になる。
各チームのマシンはその全長・全幅はもちろん、タイヤが車体の中にあるか外にあるかなど、
車体構成の違いによって最小回転半径が異なっている。
実際に折り返し点で見ていると、その走行ラインはまちまちである。
スワッコ号は狭いトレッド幅で長いホイールベースのため、回転半径はやや大きい。
もちろん、このコースに合わせて設計しているので、狭い折り返しをまわるだけの余裕はあるはずだが・・・。
しばらくして、直線を下ってくるスワッコ号の姿が見えてきた。
回転半径をかせぎ、速度を殺さないための「アウト・イン・アウト」の
セオリー通りに、コースの目一杯アウト側から進入してくる。
滑らかにステアリングを切ってコーナリングに入ったところで、
後続のマシンがいきなりインサイドを無理矢理突いてきた。
コーナー頂点でぶつかりそうな距離にまで接近し、
ギャラリーが思わず息を飲む。
スワッコ号がやや譲る感じでそのマシンを前に行かせたが、
復路の直線ではスワッコ号があっさり抜き返していく。
言葉は悪いが、格下の相手に進路妨害をされたようなものである。
それだけ速度差があるのに、なぜわざわざ危険を冒して、
しかもエネルギー効率の悪いラインを使ってまで折り返し点で
追い抜く必要があるのだろうか?
ゼッケンからすると、そのマシンはジュニアクラスである。
すなわち自動車を運転したことのない若者がステアリングを
握っているのである。
今年のレギュレーションでは、折り返し区間での追い抜きは
特に禁止されていないが、危険を避けることはドライバーの
最大の義務であるはずだ。
昨年に引き続き、今年もまた安全面の問題を感じた一件であった。
程なく、見覚えのあるマシンが折り返し点に差し掛かった。
岐阜県立高山工業高校の青いマシンである。
序盤は姿が見えなかったのであるが、
トラブルから復帰したのであろうか?
何はともあれ、頑張って欲しいものだ。
終盤になると、コースサイドに停止するマシンが増えてきた。
我らがスワッコ号は、やや速度が落ちているものの、
9周目の折り返し点を通過していった。
昨日の予選では9周目の折り返しからしばらく上った地点で停まっており、
残り時間から考えると、決勝でもさほど変わらぬ距離になりそうだ。
とすると、復路の途中で停止する可能性が高いはずである。
そう考えた筆者と木下氏は、折り返し点を後にして
再びスタートラインに向かってコースサイドを上りはじめた。
タイムアップより前にバッテリーを使い切ってしまったマシンが、
至るところに停まっている。
スワッコ号はもう停まってしまっただろうか?
ところが、復路の直線を1キロほど上ったところで予想外の光景を
見ることになった。なんと往路の直線をスワッコ号が下っていくのである。
ということは、9周目をクリアして10周目に入っているということなのか?
大慌てで再びコースを下る。残り時間はもう2〜3分しかない。
しばらくしてタイムアップを告げる花火の音が響いた。
まだ走行中の各マシンがすぐに停止する。スワッコ号はどこだ?
急ぎ足でコースを下っていくと、黄色いボディが目に入った。
ちょうど折り返し点手前100メートルの看板のすぐ横だ。
ドライバーの中田氏がマシンから降りて、いち早く駆けつけた大橋代表と
言葉を交わしていた。
筆者達が到着してからしばらくして、他のメンバーも集まってきた。
みんな一様に明るい表情だ。
2月の時点では不参加の可能性さえあったとは、とても考えられない。
短期間でこれほどのマシンを製作したメンバーのパワーに、
ただただ驚くばかりであった。
最終的な走行距離は、1周6キロのコースを約9周半して 57.23145kmであった。
これは我々にとって自己ベストの距離である。また、順位は69台中総合13位であった。
決勝レース全体に目を向けると、
優勝:チーム・ヨイショット・ミツバの「USO800」
2位:チーム スーパー エナジーの「スーパーエナジーVer.5.1」
3位:早稲田大学永田研究室の「ELEKING WASEDA」
であった。中でも、優勝した「チーム・ヨイショット・ミツバ」は、
予選順位49位からの大躍進であり、誰もがあっと驚いた。
もしかしたら予選では三味線を弾いていたのかもしれない。
また、優勝車両の走行距離は 73.8262kmで、
予選で「チーム スーパー エナジー」が大会史上初めて越えることの出来た
70kmからさらに距離を伸ばした。
レースを終えて
思えば今年のワールドエコノムーブへのチャレンジは、苦悩からスタートした。
何のために参戦するのか? 我々にとって電気自動車とは何なのか?
最も根本的な疑問にまで自分たちを追い込んだ結果、
我々が出した答は、いわば「ものづくりの喜び」とも言うべきものであった。
「とにかくやってみよう」からスタートして、いつのまにかマシン製作に没頭し、
それぞれの役割を見事に果たした仲間たち。
また、岐阜県立高山工業高校の山下先生から届いた1通の電子メールが、
我々にとって強力なカンフル剤になった。
多くの悩みを抱えながらも、過去4年間の活動は大きなパワーとなって我々の中に確かに存在していたのである。
そして周囲には、我々が意識しているよりも大きな流れがすでに生まれていた。
今年の成果は、我々諏訪湖電走会にとって大きなターニングポイントになるだろう。
少しずつではあるが、未来への扉が開こうとしているのを感じることの出来た大会であった。
(終わり)
今年も数々のご協力・ご声援ありがとうございました。
(本文・写真:岩田裕二 E-MAIL: webwheel@alles.or.jp )
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