デザイン四方山話・バックナンバー

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1998.4.1.

■デザイナーのうなぎのたれ その4■

デザイン四方山話
『デザイナーのうなぎのたれ』と題し誰でも実践できるデザイン手法を紹介したいと思います。

今回は、文字の並べ方についてです。
パソコンやワープロが発達した今日、文字をバランス良く配置するなんて機会は
デザイナーでも少なくなってきています。
しかし、この作業は意外と奥が深くデザイン作業の基本を含んでいます。

それでは問題です。
次の文字の並びの中でもっともバランスが取れていると考えられる並びはどれでしょうか?

例題 文字並び


正解はハとしたいと思います。
なぜ“思うか”と言うあいまいな表現になるかというと文字並べは非常にファジーな作業だからです。
イはアルファベットの間隔が均等に見えません。
ロは驚くことにパソコンソフトに自動に並べさせたものです。これも均等に並んでいるとは言えません。
では、どのように文字を並べるのか?というと

1:懐を見る
文字の空いている空間(赤斜線)の面積を均一にします。

文字の空きスペース


2:順番にチェックをする

順番にチェック


3:横から見る

横から見る


これで大方文字のバランスを取る事が出来ます。
ワープロが発達した今日、文字のバランス取りを行う事などほとんどありません。
しかし、文字並べはモノのレイアウトのバランスを取るというデザインの基本事項が含まれます。
皆さんも街中で文字のレイアウトに注目してください。
意外とテキトーなレイアウトが目に付くものです。

次回はモノの配置の比率について考えてみたいと思います。



1998.1.21.

■デザイナーのうなぎのたれ その3■

『デザイナーのうなぎのたれ』と題し誰でも実践できるデザイン手法を紹介したいと思います。

今回は、エルゴノミクス(ergonomics)デザインをお送りします。

この言葉、古代からあるものではなく実は1950年に英国で作られた新語なんですね。
証拠に私の研究社の辞書にはありません。
正式な意味は人間生産時、操作時に出す筋力、出力を適正化するための学問、とあります。

デザイン業界でも5年ほど前ブームのような形でコンセプトのキーワードに良く使われました。
その時に多く使われていた意味を解釈すると、人間工学にのっとった人にやさしいデザインでした。
本当はそんな事はあらためて言うまでもなく設計/デザインの基本条件なんですがねぇ。
効率化、コストの問題、設計者/デザイナーの怠慢等でなかなか既成の技術、
アイデアから脱皮できないものです。
それがバブル好景気の波に乗ってエルゴノミクスという思想が陽の目を浴びました。
少し本質的な経緯ではないのが気にかかります。

そのころ私はとある工作機械メーカのコンセプトモデルを手がけたことがあります。
自動車等と違い、工作機ですから形の面白さや色の奇麗さなんかは提案の理由にもなりません。
そこで出たのがエルゴノミクスというキーワードでした。
そこであらためてこれまで手がけた機種を総チェックしてみると、

●操作盤の位置
●作業部位の高さ
●ツール交換時の一連の動作とクロスする機械各部の形状
●切削油との接触
●工作部位/開口部の安全性
●安全に影響する色彩計画
●ワーク回収作業に関する動作
●注意シールの位置

のように人への配慮が欠ける項目が多数出てきました。
当たり前の事がデザイン側も設計側もこれまでに出来なかったのです。
また、エルゴノミクスデザインに欠かせない人体各部のデーターの把握が
私も含め驚くほど出来ていないことが判りました。


ここで次のA・B・C案のつまみ中でもっともトルクのかかる形状を考えてみてください。
直径はともにφ60, 高さ30mmです。

つまみ画像

私の経験から申し上げるとこの場合B案がもっとも力が入ります。
AやCは一見すると力が入り易い形状をデザインされているように見えますが
素手で行うには意外と力を入れられません。
但し大きさ、高さ、素手で回すか否かの条件によりふさわしいデザインは
変わってくることをお断りしておきます。

このデザイン四方山話でも「近代デザインの歴史その5〜バウハウスの設立 」
と言う項目で触れましたが
独のバウハウスは人間工学的な見地からものの形状を決めることを教えました。
日本でも職人の経験と知恵が使い手を考慮したすぐれた道具を生み出してきました。
使い手が存在している以上デジタルデザイン/設計の波はこれからますます盛んになるでしょう。

しかしエルゴノミクスな設計思想は是非ブームで終わらせたくない大切な志です。
まず人間を知ることが一番大切なエルゴノミクスです。
通産省の諮問機関である工業技術院/生命工学工業技術研究所では1991年〜1992年にかけて
設計のための大掛かりな日本人の人体寸法データを集めました。
これらのデーターは報告書として発表されている筈ですから興味のある方は
連絡を取られては如何でしょう?

〒305−0046  茨城県つくば市東1−1
工業技術院生命工学工業技術研究所 総務部業務課広報係
TEL:0298-51-2515

次回は文字の並べ方、バランスの取り方についてお話したいと思います。



1997.11.7.

■デザイナーのうなぎのたれ その2■

「デザイナーのうなぎのたれ」と題し誰でも実践できるデザイン手法を紹介したいと思います。

前回、マンセル法という色の地図をご紹介いたしました。
数限りない色の中で、出会った色というのは本当に偶然の出会いなのです。
しかし製造業の方は、色の難しさは身にしみていると思います。
少しでも彩度や明度、グロス値(艶)が違うだけで不良として返される"やるせなさ"は
注文する側も製作する側もつらいものです。
私は色をお願いする側なので今日はその色のこだわり、
デザイナーが色を得るまでの手がかりを一部ご紹介します。

色は心理学と非常に深い関係を持っていることも近年証明されています。
人間の興奮を呼び起こすことは実証されています。はっとさせる力があります。
しかし、一般に呼ばれる赤色は明度が高くないので自照ではなく反射による配色は
夜間での視認性が非常に悪いのです。昼間あれほど目立っていたポストが闇夜の中で
沈んでいるのはこのためです。色覚障害者にとっては識別しにくい色なのです。

明度、彩度共高く視認性にすぐれた色とされています。安全色として認知されています。
しかし以前、色彩研究所に問い合わせたところ、視認性という面だけで評価すれば
検証の結果、純白が最も視認性が高かったそうです。
確かに湖沼の透明度は純白の板を沈めて計ります。
色環で黄色から橙、赤を暖色と呼んでいます。反対に青、緑を寒色系と呼びます。
暖色系は食欲を促進させる力があり、実際レストランの看板などにはなるほど多用されています。
ちなみに寒色系は食欲を落とす力があり、ダイエットなどで部屋を寒色系にすれば食事の量を
知らず知らずのうちに落とせるそうです。

精神を沈静化する働きを持っています。
実際、鉄道車両の運転室が薄いブルーで塗られているのをご覧になったことがありませんか?
寝室などに多用すると安眠を助けるそうです。
情緒的には誠実さや勤勉さを物語る色ですが、日本人がもっとも好む色の一つであるという
統計も出ています。

この色も精神を沈静化する働きがあります。平和の色としても知られています。
私個人では配色としてこの系統の色をよく使う事が多いのですが、
時代を反映しているのか、最近、色を選ぶときに日本の伝統色を好んで使うようになりました。
わびとさび、これこそが日本人が古くから好んだ粋な風合いです。
青銅の緑、、抹茶の緑、よもぎの緑
緑は選び方次第でこの表現が比較的わかりやすくできるのです。

熱吸収率ナンバーワンです。人を威圧する色でもあります。
逆にモノを小さく見せる効果がありますがフレンドリーな感じはしません。
しかし、周囲の色をすべて吸収するので強調したいオブジェクトの周囲色には
これほどの色はないでしょう。

熱反射率ナンバーワンです。
余談ですが風邪を引いたときに白い服を着ていると治りが早いそうです。
一時期あれほどまでに白い車が多かったのですがこのところ有色系の車が増えました。
景気が悪くなると濃い色の車が売れるのだそうです。
何か心理的にわかるような気がしますが・・・

製品の色を決めるときにたいてい一色では済まず、複数の色の組み合わせで色を決めます。
そんな時に考えるのはその製品の造形にあわせた色の配色です。
たとえば、一つの造形を複数のオブジェクトの集積によるものとして表現したいのであれば、
補色を使います。補色関係とは色環の対角線上の色のことです。
たとえば、赤の補色は緑、黄色の補色は青、といった具合です。
裏と表、中と外を強調するときにも効果的です。
全体的に"ぼけた感じ"が気になるならば補色関係の色を使うと効果的です。

逆に、構成が複雑で全体を極力シンプルに見せたいのであれば同系色を使用します。
これは相性をよく吟味しないと失敗しますが成功すれば思わぬ効果を生みます。
最近気に入っているのは緑と青の組み合わせです。非常に難しいですが成功すれば
高貴なセンスを表現できます。

配色は結局は好みで決めてしまうモノですが、時に製品の性能を落とすことになり兼ねない
大切なものです。最近、高齢者の色覚の衰えがサインボードの見落としを招いているとの
指摘もあり、健常者では識別できる色も高齢者には識別できないこともあります。
安全性に関しては特に気を配りたいものです。PL(製造物責任法)法の対象に
十分なりうる項目ですから…
    
次回はエルゴノミクスデザインについてお話したいと思います。


1997.10.29.

■デザイナーのうなぎのたれ その1■

デザイン四方山話は今回から、『デザイナーのうなぎのたれ』と題し、
誰でも実践できるデザイン手法を紹介したいと思います。
第1回目は色の話です。

皆さんは業務でも日常でも色を考えるときにどのようなことを考えるでしょうか?
色には赤とか白とか名前がついていますが、どんな赤か、どんな白なのかを
補足的に説明すると思います。
この微妙なニュアンスで、数限りなくある色をさまざまな人間が
マッピングなどで定義付けを試みてきました。
今回その中で解りやすい例としてマンセル法を紹介します。

マンセル法地球儀 マンセル法とは年月をさかのぼり1905年に
米国のマンセルさんが考案された色の地図です。
それは地球儀のように色の世界を球で捕らえ
無段階の世界を緯度、経度のように

色相(色の種類:赤系とか青系とか)
明度(どのくらいの明るさか)
彩度(どのくらい鮮やかか)

の3種類で色の位置を示したものです。
それを図に示してみました。(右図)

実際はこのような完全な球体にはならず
ゆがんだ格好になるのですが
例としてわかりやすく示したものです。

たとえば、「5R4/12」というように
マンセル法では色を示しますが、これは
「10段階の内で5くらいの赤(R)の色相で、
 明度4(N4に相当)、彩度12」

 という意味です。

色相、彩度の無いモノトーンはN3や、N8で示します。
(N9=白限界、N1=黒限界)
これにグロス値(艶の度合い)等が
絡んでくるようになると正に人間と同じように、
同じ色というのは無二ということです。
そう考えると色との出会いの尊さが
実感できるのではないでしょうか?

次回はこの色の選び方をエモーショナルに話してみたいと思います。

1997.10.16.

■自動車デザイン〜トヨタの新型アリスト■

デザインの歴史の後は、少し砕けて自動車デザインの話をしたいと思います。

唐突ですがトヨタの新型アリストかっこいいですね。
スタイリングのディテイルデザインはともかく、あのたたずまい。
あれがなんで格好良いのかを考えてみると、

1:速い(だろう)ということを容易に想像できる
2:無駄無くストイックに自動車の本質を突いている
3:これを乗り回している自分がかっこいいのを想像できる
4:4枚ドアの背の高いセダンである
5:乗れば少し悪な自分を表現できる

そんなところでしょうか。
速さというのは本能にダイレクトに訴えかけるんですよね。
完成度は比べ物になりませんが初代シーマは同じ訴求ポイントで
民衆に受けたようです。

ところで私が自動車関係のデザインをしていた10年近く前は
とにかく日本の車は背が低かったのです。
高さで1400mmを超える乗用車はほとんど無かったのですから…
(シーマはたしか1380mmでした。)

そのころヨーロッパのセダンはBMWにしろランチァにしろ
みんな1420mmくらいの高さを持っていました。
しかしそのプロポーションのバランスのよさは言うまでもありません。
それとフロントグラスを支えるAピラーの角度なんかは、信号で止まったとき
我が国のモノと比べてみると驚くほどあちらのは立っているのです。
切り立ったキャビンを支える本体の造型(下半身)はモデルを作ってみると
良く判るのですが、それなりに見せるにはかなりそれを受ける造形的なパワーが必要になります。
国産車の背の低さは当時の国内法規の全幅の問題もありました。

これは自動車に対するその国の姿勢を非常によくあらわした例かも知れませんが、
どちらが良いという問題ではなくデザインという解釈が違うのです。
欧州車の背の高さはあくまでも道具としての自動車がデザインされているという証拠です。

法定速度100キロの日本でNEOVVIのアリストが必要か?という疑問はさて置き、
1435mmもの高さがある超高速セダンを作り出せるなんて日本の自動車産業も
成熟(決して進歩ではない)したな〜と感慨にふけるのであります。
とにかくホームページも非常にかっこいいので暇があればご覧ください。

http://www.toyota.co.jp/Showroom/All_toyota_lineup/Aristo/top.html


1997.10.6.

■近代デザインの歴史その8〜デザインの終焉?■

近代デザインを理解していただくために、簡単にその歴史を紐解いてみましょう。
その歴史は浅く、がしかし時代の波とともに変化を続けてきました。
デザインは、その時々の時代を映し、カタチにして残されているのです。
_________________________________

近代デザイン年表

〜1800年頃迄:古典主義様式(華麗な装飾)、ロマン主義等の装飾主義、
       懐古主義の装飾的デザインの主流
   1800年後半:ウィリアムモリスの工芸活動
   1900年初頭:アールヌーボー運動
   1920年頃   :アールデコ運動
   1919年〜   :バウハウスの設立
   1975年頃〜:ポストモダンデザイン
   1995年 〜  :デザインの終焉?
_________________________________

デザインの歴史の最終回は、今デザイナーに問われている問題点を考えてみます。

これまでの近代デザインの歴史の経緯はまさに時代を移したものであることが
おわかり頂けたと思います。
バブル経済崩壊が歌われて5年以上は経過しましたが
今、デザイナーに求められているのは何でしょうか?

世の中の製品を見渡してみると、どうしようもなく劣悪な
デザインというのは無くなってきました。
どうやらちょっとくらい格好の良いものを作っても駄目なようです。
日本の学校教育でいい悪いはともかく、美のバランスというものを
みんなが学びそれが応用されていることもあるでしょう。
設計者は下手なデザイナーなんかに頼まなくとも格好のいい立派な製品を
作り上げることができるようにもなりました。

それではデザイナーは要らなくなるのか?

今、デザイン業界も不況ですがそれは如実にこの現象を物語っています。

私は、これまでのような単に造型屋で絵描きもどきのようなことをしていたら
工業デザイナーの職は追われて当然だと考えています。
不況のときこそユーザーの求めているものを考えられるデザイン業は繁盛すべきなのです。
それにはデザイナー自身がモノ作りの現場を知り、ユーザーを知り、
多くのあたり前を知り、その上で時代に流されない的確なトレンドを
感じる能力が必要となるでしょう。

デザイナーも淘汰される時がきたのです。
私はその時代の潮流を喜びたいと思っています。
それは決して私が生き残れると思っているからではないのです。
私よりいろんな面で優れたデザイナーは数多くいます。
私自身、デザイナーという肩書きに固執するつもりはないのです。
限界を感じれば、自分の人生をリデザインすればいいのですから。
もしかするとそれが自分のデザイナーとしての最後の仕事になるかもしれません。

                             近代デザインの歴史 〜終わり〜

1997.9.17.

■近代デザインの歴史その7〜ポストモダンデザイン■

近代デザインを理解していただくために、簡単にその歴史を紐解いてみましょう。
その歴史は浅く、がしかし時代の波とともに変化を続けてきました。
デザインは、その時々の時代を映し、カタチにして残されているのです。

_________________________________

近代デザイン年表

〜1800年頃迄:古典主義様式(華麗な装飾)、ロマン主義等の装飾主義、
       懐古主義の装飾的デザインの主流
   1800年後半:ウィリアムモリスの工芸活動
   1900年初頭:アールヌーボー運動
   1920年頃   :アールデコ運動
   1919年〜   :バウハウスの設立
   1975年頃〜:ポストモダンデザイン
   1995年 〜  :デザインの終焉?
_________________________________


バウハウスが与えた近代デザインの影響は多大なものであると
前回までお話しましたが、その後半世紀以上にわたり
大きなデザインの運動はありませんでした。

もっとも科学的に証明された形状に異議を唱えるものはありません。
バウハウスの理念はムーブとかモードなどの様なものであり
デザインの本質を理論的に証明したものだったのです。

しかし、日本も経済成長を果たし、先進各国が物質的に安定した状態になると、
機能以外のなにかをデザイナー自身が付けたがったようです。
ポストモダンデザインはまさに、アールヌーボーに返り咲いたような現象でした。
一部の評論家やデザイナー自身は新しい時代のデザイン潮流だと
もてはやしたこともありましたが今になってみると(特にバブル崩壊後は)
奇妙な印象を受けます。
かっこいいけど使いにくい扇風機、かっこいいけど着にくい服、
かっこいいけど落着かない食い物屋等が世の中に増えてきた時代でした。
何のためのデザインか?その背景には時代の未熟さが読み取れます。
デザインは時代とともに成長するものなのです。

私自身、バブル期真っ最中のときに工業デザイナーとして社会に出ました。
まさにデザインの国内における黄金時代でした。
さまざまな企業のおだてと有り余る資金で各種のデザイナーは
踊り狂っていたようでした。
実際、その頃の自分のスケッチをひも解いてみると夢物語を
テーマにしたものが多いようにおもえます。いいえ、今でも夢はあります。
しかし、その夢が今とは大幅に違うことに気が付きます。
それは一言にいって誰の夢かということです。
バブル期はかなりパーソナル指向の夢でした。
ハイソサエティー、アヴァンギャルド、クリスタル、いけいけ、
使い捨てというキーワードがメモられています。

最近、自分でよく使う造形のキーワードは、バリアフリー、
OXソリューション、ナチュラル、オーガニック、リサイクル
と言うような共存共栄をテーマにすることが心地よいのです。
恥ずかしながら結局、時代の波に流されているのだなと感じます。

                                                         (つづく)

1997.9.5.

■近代デザインの歴史その6〜バウハウスの設立II■

近代デザインを理解していただくために、簡単にその歴史を紐解いてみましょう。
その歴史は浅く、がしかし時代の波とともに変化を続けてきました。
デザインは、その時々の時代を映し、カタチにして残されているのです。

_________________________________
近代デザイン年表

〜1800年頃迄:古典主義様式(華麗な装飾)、ロマン主義等の装飾主義、
       懐古主義の装飾的デザインの主流
   1800年後半:ウィリアムモリスの工芸活動
   1900年初頭:アールヌーボー運動
   1920年頃   :アールデコ運動
   1919年〜   :バウハウスの設立
   1975年頃〜:ポストモダンデザイン
   1995年 〜  :デザインの終焉?
_________________________________
(前回の続き)
バウハウスのこの教育理念は、今現在の造形/美術系の教育機関の
ほとんどで受け継がれています。

簡単な例を「椅子」に取りましょう。
椅子のデザインを考えるときまず何を考えるでしょう?
人体の寸法、用途に合った形態、適切な素材、生産性などを考慮に入れると思います。
現在たいていの人が無意識に構築してゆくデザインプロセスは
バウハウス以前には無かったのです。
20世紀に入り科学の進歩で、デザインも科学的に進められたということです。
しかし、革命というものはたいてい大多数の人間には理解できず、
理解できないものは排斥するという原始的な感情でバウハウスも
政府や市民の手で1924年に解散の至りとなったのです。

しかし、この運動エネルギーはそう簡単には息絶えるものではありませんでした。
すぐに同国、デッサウ市がバウハウスの引き取りを申し出て、
1933年にナチスによる解散宣告を受けるまで精力的な活動が続けられました。
第二次大戦後、バウハウスの精神は敵国アメリカに引き継がれ
その後のアメリカの商業主義的な経済で急激に成長したデザインは
アメリカのパワーを象徴することになったのは言うまでもありません。

さて、80年あまりたった今でもこのバウハウスの潮流は変わっていません。
次回からはこれからのデザインについて持論を述べたいと思います。
余談ですが、このバウハウスの教育を実際に受けた日本人が何人かいました。
そのことについてはまた機会があればお話したいと思います。

                                     (つづく)

1997.8.28.

■近代デザインの歴史その5〜バウハウスの設立 I■

近代デザインを理解していただくために、簡単にその歴史を紐解いてみましょう。
その歴史は浅く、がしかし時代の波とともに変化を続けてきました。
デザインは、その時々の時代を映し、カタチにして残されているのです。

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近代デザイン年表

〜1800年頃迄:古典主義様式(華麗な装飾)、ロマン主義等の装飾主義、
       懐古主義の装飾的デザインの主流
   1800年後半:ウィリアムモリスの工芸活動
   1900年初頭:アールヌーボー運動
   1920年頃   :アールデコ運動
   1919年〜   :バウハウスの設立
   1975年頃〜:ポストモダンデザイン
   1995年 〜  :デザインの終焉?
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バウハウス(Bauhaus)という言葉をご存知でしょうか?
4話までのアールヌーボー/アールデコまでのデザインという定義は、
「装飾(イミテーション)」を示していました。
バウハウスはそれまでのデザインという意味を「装飾」から「意匠」へと
定義つけたドイツの教育機関(造形学校)の名なのです。

1919年にワルター・グロピウスという人物がそれまでの
イミテーションデザイン(=物質と精神の分離)に異議を唱え、
物質と精神の統合のキーポイントが「バウ=建築」にあるとして
建築家の育成を行おうと当時のドイツの小国、ワイマール共和国に
国立の造形学校としてバウハウスを設立しました。

しかし、現在では建築の分野よりもむしろ、工業デザインの
先駆的功績が有名になったようです。
その教育内容はその当時例の無いもので材料の法則性と可能性や、
人体のメカニズムを研究過程に取り入れた上での造形教育は
デザインの定義を根本から覆すものとなりました。
ユニークな教育は講師陣の顔ぶれからもうかがい知れます。
ダダイズムの抽象画の第一人者、カンディンスキーやクレーなど、
当時でも神様のような人物が指導者として名を連ねていたのです。
なんとも羨ましい。
あと100年早く生まれたかったと悔まれます。

                      (つづく)


1997.8.7.

■近代デザインの歴史その4〜アールデコ■


近代デザインを理解していただくために、簡単にその歴史を紐解いてみましょう。
その歴史は浅く、がしかし時代の波とともに変化を続けてきました。
デザインは、その時々の時代を映し、カタチにして残されているのです。

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近代デザイン年表

〜1800年頃迄:古典主義様式(華麗な装飾)、ロマン主義等の装飾主義、
       懐古主義の装飾的デザインの主流
   1800年後半:ウィリアムモリスの工芸活動
   1900年初頭:アールヌーボー運動
   1920年頃   :アールデコ運動
   1919年〜   :バウハウスの設立
   1975年頃〜:ポストモダンデザイン
   1995年 〜  :デザインの終焉?
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前回のアールヌーボーで、様式に囚われぬ自由なデザインは
正に西洋美術史での印象派の出現とよく似ています。
それは古典様式に対するアンチテーゼなのですが、
文化とは主流・反主流の対流により歴史を重ねてきた経緯があります。

アールデコはアールヌーボーの小さな変化として捉えることが出来ると思います。
アールデコは、アールヌーボーの自然界をモチーフにした
自由曲線の多用に対し、直線を取り入れたデザインの流れです。
直線は自然界ではその存在が確認できていませんから、
やはり人間であることを意識した時に直線を使ったデザインへ
傾向として流れるのは本能的なものなのでしょうか?

さてここまで語られてきたデザインは装飾を意味していました。
ここで、それまでのデザインの意味が変わる大きな潮流が
生まれようとしていました。

今のデザインの在り方は基本的にこの時から変わってはいないのです。

                           (つづく)


1997.7.28.

■近代デザインの歴史その3〜アールヌーボー■


近代デザインを理解していただくために、簡単にその歴史を紐解いてみましょう。
その歴史は浅く、がしかし時代の波とともに変化を続けてきました。
デザインは、その時々の時代を映し、カタチにして残されているのです。

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近代デザイン年表

〜1800年頃迄:古典主義様式(華麗な装飾)、ロマン主義等の装飾主義、
       懐古主義の装飾的デザインの主流
   1800年後半:ウィリアムモリスの工芸活動
   1900年初頭:アールヌーボー運動
   1920年頃   :アールデコ運動
   1919年〜   :バウハウスの設立
   1975年頃〜:ポストモダンデザイン
   1995年 〜  :デザインの終焉?
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”アールヌーボー”誰もが知っている言葉です。一体何のことなのでしょう?

建築や工芸の中で自然界から形状のモチーフをとり、曲線を多用した様式
に囚われない自由なデザイン様式のことを意味します。
代表作では、この諏訪にあります北沢美術館のエミールガレーや、
ルネラリック美術館のルネラリックが有名です。

蝶やカゲロウ、魚、数々の植物等がそのまま花瓶、ネックレスにあしらわれています。
それはこれまでの重苦しい古典様式に対するアンチテーゼであったのです。
このアールヌーボはパリを中心に世界中に広まってゆきました。
正に重いコートを脱ぎ捨てた工芸デザイン界の春の訪れといっても
過言ではないでしょう。

その発祥は1896年に美術商ビングという人がパリに開いた店の名前でした。
そこで売られたものは当時としては最新のモードの美術工芸品ばかりで
パリッ子の流行を生んだのです。
ビングの店の内装や、商品のデザインを手がけていた人物が”ヴァン デ ヴェルデ”でした。
彼は前回のモリスの工芸運動にも影響を受けていました。

ご存知アントニオガウディーも時代的には同じ人物なのですが、
このアールヌーボとは違う流れと解釈されています。
しかし、古典様式へのアンチテーゼであることは見れば明らかです。

                              (つづく)


1997.7.22.

■近代デザインの歴史その2〜近代デザインの思想の発祥■

近代デザインを理解していただくために、簡単にその歴史を紐解いてみましょう。
その歴史は浅く、がしかし時代の波とともに変化を続けてきました。
デザインは、その時々の時代を映し、カタチにして残されているのです。

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近代デザイン年表

〜1800年頃迄:古典主義様式(華麗な装飾)、ロマン主義等の装飾主義、
       懐古主義の装飾的デザインの主流
   1800年後半:ウィリアムモリスの工芸活動
   1900年初頭:アールヌーボー運動
   1920年頃   :アールデコ運動
   1919年〜   :バウハウスの設立
   1975年頃〜:ポストモダンデザイン
   1995年 〜  :デザインの終焉?
_________________________________

産業革命により機械化されて作られた粗悪品と、意味の無い装飾品に
あふれかえっていたころ、一人の青年がこの現象に嫌悪感を抱き
一つの活動を起こしました。
その人こそ、近代デザインの思想の発祥といわれている工芸活動を
起こした、ウィリアムモリスなのです。

モリスは、当時まだ美術工芸は一部の貴族のものであり、美術は大衆の
幸福のためにあると説き、自ら家具、室内装飾品、生活用品を手がけたのです。
また、当時機械生産された製品の劣悪さは生産者の生産意欲の低下が原因であると、
産業革命の真っ只中、手工業の見直しを説いたのです。

一世紀の年月を超えてモリスの思想が引用されるとは、当時の彼の
冷静沈着な思想と、これまでの工業界が基本的には大きな変化も無く
来ていることの意外さに驚かされます。
いま、その産業革命以来の大きな産業革命が起こりつつあります。

このインダストリーウェブの発足もそんな時代の要求に答えたものだと思います。
いまこそ、第二のウィリアムモリスに誰もがなれるかも知れない、
”チョーラッキー”な時代なのかもしれません。

さて、次はいよいよアールヌーボのお話です。
アールヌーボは言葉は知っていてもその意味を説明できる人は
いないのではないでしょうか?
このアールヌーボとは実はそういうブーム(現象)のことだったのです。

                              (つづく)


1997.7.14.

■近代デザインの歴史その1〜近代デザインが起こるまで■

近代デザインを理解していただくために、簡単にその歴史を紐解いてみましょう。

その歴史は浅く、がしかし時代の波とともに変化を続けてきました。
デザインは、その時々の時代を映し、カタチにして残されているのです。

Part1:近代デザインが起こるまで
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〜1800年頃迄:古典主義様式(華麗な装飾)、ロマン主義等の装飾主義、
        懐古主義の装飾的デザインの主流
 1800年後半:ウィリアムモリスの工芸活動
 1900年初頭:アールヌーボー運動
 1920年頃 :アールデコ運動
 1919年〜 :バウハウスの設立
 1975年頃〜:ポストモダンデザイン
 1995年〜 :デザインの終焉?
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今の近代的なデザインが行われるのは19世紀頃の産業革命以来のことです。
それまではデザインというとズバリ装飾を示していました。
ご存知のようなルイ王朝のロココ調の椅子に代表されるように、
機能より装飾を重んじていたのです。

それが1800年後期になると、度を越す装飾を施したモノが世の中に氾濫しました。
たとえばミシンに唐草模様とか、ボイラーにローマ様式の装飾等の、
この過剰なイミテーションの装飾に人々は辟易していたそうです。

デザインは科学の流れとも密接に関係しています。
例えばご存知パリのエッフェル塔は、それを真似た東京タワーよりも
半世紀以上も前の1889年に完成しているのですがあれだけの巨大建造物が
成立しているのも鉄の強度や特性を知らなければありえません。
ローマ時代にエッフェル塔のデザインを提案しても
机上の空論に過ぎなかったことでしょう。

この1800年後期の装飾過多の現象は産業革命でもたらされた
新しい科学とルネサンス以来の伝統的手法が混沌とした、
正に近代デザインの生まれる温床だったのです。

そして一つの流れが生まれようとしていました・・・

                              (つづく)

1997.7.3.

■私が諏訪へ移り住んだわけ(その2)■

書いている本人が耳が痛いところもあるのですがデザイナーと
名乗るからにはモノ創りの役に立たなくてはなりません。

今、役立つデザイナーとは・・・

私はデザイナーとはモノ創りの『何でも屋』であるべきだと思っています。
企画、設計、製造、販促迄、モノ創りにすべて関われるのは唯一デザイナーだからです。

20世紀初頭の産業革命以来の時代の大きな波は、今、無能なデザイナーの
存在自体をも飲み込もうとしています。
皮肉にもデザイナーという職業が生まれたのも産業革命の時でした。

どうせ自分も飲み込まれるなら出来る限りのことを試してみたいと思いました。
裸になって一から自分のデザイナー生命を賭けてみたのです。

それには長年支えられてきた東京を離れる必要が在りました。
そこで新たなる人生の出発点としてふさわしい土地を日本国内で探したところ、

  モノ造り関係の人口密度が高く、
  中央の情報を肌身に感じられる距離にいて、
  常に動き続ける街を持ち、
  感性を磨く環境を持ち合わせている、

そんな条件を満たした諏訪の平は正にモノ創りの理想郷として映りました。
ここへ来てまだ半年ですが、かつてないエキサイティングな毎日が繰り広げられています。

この諏訪地域は太古の昔から常に活性し続けるエネルギーを持ち続けているのです。

この地から見出された新たなるデザイナーの在り方を
この業界に示せれば本望なのですが・・・

                              (つづく)

1997.7.1.

■私が諏訪へ移り住んだわけ(その1)■

皆さんこんにちは。私は昨年暮れまで通算8年間、東京で工業デザイナー
として勤めた後、諏訪へ越してきた堀内と申します

今、何故諏訪なのか?それは今のデザインの在り方を問い正すことから始まりました・・・
デザイン業界もこの5年ほど前迄はバブリーな経験をし、
本当にデザイナーがもてはやされた頃でした。
とにかくデザイナーのはったりの効いたコンセプトや流麗に見えるスケッチに
多くの人がお金を払ってくれたのでした。
何しろ生産財の工作機械までがデザインコンセプトモデル等を
発表していたのですから今では考えられません。
しかしそんな時代はそう長続きはしませんでした

『不景気になるとデザインを必要としなくなる』のはなぜなのでしょうか?
それにはいくつかの理由があると思います

 
一般にデザイン自体の意味が単に形態や色の提案としてのみ
捉えられていた→ズバリ、それだけでは商品の売り上げには
あまり貢献していなかったのです!
みんな、バブル景気で出来たお金の使い道が分からなかった→手っ取り早く
日産シーマ買ったように、うちもデザインでもやってみっかと言う余興的扱いをされた。
デザイナーの力量不足→マスプロダクションの仕事に携わっているのに
多くのデザイナーがあまりに世間知らずで、生み出されたデザインが幼稚で
商品のソリューションを提案出来なかった。
日本人のデザインに対する意識の低さ→しかし、こればかりは日本中探しても、
一般の人が本当のデザインの大切さや、善し悪しを学べるような機会や場所は無いのです。

                              (つづく)

1997.6.30.

■はじめに■

明日よりこのページでデザイン業界をとりまく
さまざまな話題を掲載していきます。(不定期です)

執筆者は堀内トモキ氏です。

堀内氏は、ケルビムヘッドプロダクトというデザイン事務所を経営しており、
工業デザインに対して深い造詣と鋭いセンスを持っていらっしゃいます。

デザイン業界が抱える問題点や裏話などについて、独自の視点で連載していただきます。


また、このコラムに対するご意見ご感想をお寄せください。

                        

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